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龍馬の名前

本名:坂本直柔

普通、武士と呼ばれる人達は2〜3の名前を持っていました。
 (1)子供の頃から普段呼ばれている名 『幼名、通称』=「龍馬」
 (2)正式な手紙などの署名に使用する名 『実名、諱』=「直柔」
 (3)絵や詩を書いた時などに使用する名 『号』=「自然堂」
 (4)追われる身の為、隠れみのとする名 『変名』=「才谷梅太郎」等

「直柔」(なおなり)とは、戸籍に登録する名前、実名にあたります。武士は元服の時にこの『諱』(=【いみな】その人の生涯の幸福を祈って好い音義の字を選んで用いたようです)をつけてもらうようですが、龍馬がいつ元服したのかわかりません。
最初は「直陰」(なおかげ)と名付けたようで、慶応元年12月頃(龍馬31才頃)までは、この「直陰」を使っていたようです。「直柔」に変わるのはそれ以後のことと思われますが、いつ変えたのかは資料として残っていないので、はっきりとは分かりません。
龍馬の手紙は、現在139通が確認されていますが、「直柔」という署名を使った手紙は慶応2年10月5日が最初のようです。諱を署名した手紙は、「直陰」=4通、「直柔」=9通しかないので、一般的にはあまり使わないのが普通だったようです。
なお、坂本家の6代目以降の男子は皆、「直」の字が付けられています。【9代目=龍馬の父は「直足」、10代目=龍馬の兄は「直方」】
『諱』を付けることは一部の武家、公家の慣習です。女子に付けられることもあったようですが、乙女やお龍には諱はありませんでした。
武家、公家制度が廃止された明治には、この風習もなくなったということになります

 

出展:高知県立坂本龍馬記念館オフィシャルサイト

 

龍馬は「りゅうま」ではなくやっぱり「りょうま」が正解


高知県立坂本龍馬記念館オフィシャルサイトの質問コーナーで質問されていた内容で、「りゅうま」ではなく「りょうま」と読む根拠についての質問が掲載されています。

(以下、高知県立坂本龍馬記念館オフィシャルサイトに掲載されている質問への回答です)

 

慶応3年1月20日付、姪・春猪(はるい)宛ての龍馬の手紙には、文末に『正月 廿日(はつか)夜 りよふより 春猪様』 と書いてあり、「りよふ」は、今の仮名遣いでは「りょう」と書きますので、「りょうま」となります。

 

出展:高知県立坂本龍馬記念館オフィシャルサイト