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国分寺・第29番札所

担当 : 生涯学習課 / 掲載日 : 2016/07/27
国分寺・第29番札所


清楚な趣をたたえた総素木造りの国分寺は国指定史跡土佐国分寺跡にあり、しんとした佇まいの中に落ち着きのある風格を備えた札所です。永禄元年に長宗我部元親が再建したもので、金堂、木造薬師如来立像(2体)、梵鐘は国の重要文化財に指定されています。

「寺は国華として好所をえらべ」という聖武天皇の勅命により、開山は僧行基で、後に空海が中興したと伝えられています。
金光明四天王護国寺、または摩尼山宝蔵院と号し、四国霊場第29番札所で本尊は行基作の千手観音とされています。
その昔は、本堂・鐘樓・大師堂・開山堂・中門・山門など七堂伽藍が完備し、周囲には土塁をめぐらし一山壮厳を極めていました。
国分寺は、北に山を負い、南に沃野をひかえ、国分川の清流が東から南、さらに西に流れて視野はあくまでも広く明るく、すぐ東には一国最高の政治の府、国衙をひかえ、国の特別の庇護のもとに高僧智識が集って寺門は栄え、善男善女の参拝も絶えることなく文化的香りも豊かな霊地でありました。
しかし兵火にかかり一時消失していましたが、永禄元(1558)年、長宗我部国親・元親の父子が再建を行い、承応2(1653)年には山内忠義が再興しています。
掃き清められた庭園には、雑草は見られず、密生した杉苔の絨毯が素敵で、土佐の苔寺と称せられています。

『国をわけ たからをつみて建つ寺の 末の世までの 利益のこせり』


国分寺塔心礎

国分寺金堂


国分寺金堂

明治37年、国指定の重要文化財です。現在の金堂は長宗我部元親が永禄元(1558)年に再建したもので、桁間5間、梁間5間の平屋建であり、屋根はこけら葺きの寄棟造りで、この屋根と木割の大きい軸組が、天平の金堂を思わすものと評されています。円柱の柱、三斗組の和様の組物、そして二重の吹寄垂木、正面に一間の向拝、全体に質素ではあるが清楚で風雅な建物として創建時の雰囲気を伝えたものとされています。


木造薬師如来立像

重要文化財の指定を受けている木造薬師如来立像が2体あります。
1体は明治44年に国から指定を受けています。右手をまげて掌を前に五指のばし、左手は前にたれ、薬壷を持つ像高99.6cmの立像です。螺髪は大きく切り付であるが背面にはなく、白毫は水晶で衲衣は偏袒右肩で右肩に祗支をかけています。着衣はやや厚く重たい感じで、股間のY字形の衣文も古様は残しているが形式化がすすんでいます。ヒノキの一木造で、彫眼の彩色像であるが、今は彩色は剥げて素地をあらわにしています。平安時代後期の作です。
もう1体は大正2年に国から指定を受けています。右手をまげて掌を前に五指をのばし、左手はまげて前にのばし指先を軽くまげ薬壷をもつ像高35.1cmの立像です。寄木造の漆箔像ですが、漆箔は応永23(1416)年の修理の際に施されたもので、今は金箔がかなり剥げ、漆地をあらわしています。光背は応永の補修で背面に墨書銘があり、板に貼付された銅製の透し彫り部分は当初のもので、台座も一部除いて当初のものです。工芸的な鎌倉時代の作です。


土佐国分寺跡

大正11年、国指定の史跡です。寺城を画す土塁や基壇状の土壇がみられ、瓦や土器片が散布していたことから国指定の史跡となっています。
しかし、昭和62年以降の学術調査などによって、現在残存する土塁の4分の3は近現代の盛土で、その下から土塁状段状地形や溝跡が検出され、創建当時の寺域は500尺であることが判明しました。また、現金堂の位置に創建当時の金堂があり、7間×4間、または5間×4間の規模も推定されました。このほか金堂の北には僧房跡も検出されるなど新しい発見も相次いでいます。伽藍配置は東大寺式であったことには変わりはありません。


梵鐘

昭和31年、国指定の重要文化財です。9世紀のはじめに鋳造された県下最古の梵鐘であり、総高80.6cmで、口径は47.2cm、龍頭の長軸線と撞座との関係が直角となっており、撞座も鐘身に対し高く、古い様式を示しています。この梵鐘が鋳造された平安時代前期に土佐国分寺の伽藍も完成したものだと推測されます。梵鐘の大小は当時の国力の強さと、それぞれの国分寺の大きさを示すともいわれています。


厨子・須弥壇

平成9年、県指定の有形文化財です。厨子は禅宗様式であり、桁行1間、梁間1間の単層入母屋造こけら葺きとなっています。柱、斗供、木鼻、垂木など各所に室町期の特徴を示しています。
また、須弥壇は正面2間、側面1間で禅宗様の高欄付です。全体的には装飾は少なく、彫刻の巻き込みの強弱やまた高欄、腰束逆蓮頭、平桁、などに室町時代から桃山時代の形式を伝えています。厨子、須弥壇ともに、室町時代末から桃山時代のものと考えられ、県内寺院の中では、時代的にも形式的にも貴重なものとしてその価値が認められたものです。


板絵両界光明真言曼荼羅

平成9年、南国市指定の有形文化財です。金堂の外陣上部の壁面に、西側(向かって左)に胎蔵界光明真言曼荼羅、東側(向かって右に)金剛界光明真言曼荼羅が懸けられています。両板絵は平安時代後期以降に流行した光明真言の信仰によって成立した曼荼羅で、円形の杉板に描かれたものです。金剛界曼荼羅は、直径2.7m、厚さ2.8cmのもので、裏面の墨書で文化14(1817)年に寄進されたことが確認できます。
胎蔵界曼荼羅は直径2.15m、厚さ2.2cmのもので、唐草紋の入った天衣に朱を引くなど室町時代の特色も残していますが、江戸時代初期の慶長年間(1596〜1614)に修理されたことが裏面の墨書によって明らかになっています。


所在地


所在地

〒783-0058

高知県南国市国分546

電話番号 088-862-0055
駐車場

無料

普通45台(一部午後6時まで)・大型7台

交通アクセス

南国ICから、国道32号線を南国方面へ、道の駅南国の前を左折し、県道45号線に入ります。

約1km走り、バス停国分寺通りを右折し約400m走ると右手に見えてきます。

 


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