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検索結果 »  令和3年 第420回市議会定例会(開催日:2021/03/05) »

一般質問2日目(中山研心)

質問者:中山研心

答弁者:市長、教育長、関係課長


○議長(土居恒夫) 13番中山研心議員。
      〔13番 中山研心議員自席〕
○13番(中山研心) 立憲民主党の中山研心でございます。第420回定例会に当たり、一般質問を行わせていただきます。議長の許可をいただき、自席にて着席のまま質問を行わせていただきます。
 質問の前に一言お礼を申し上げます。今議会の開催に先立って、車椅子で利用できるように、議場とトイレの改修をしていただきました。早速の対応をしていただきましたことを、市長や議長、副議長をはじめ事務局の皆さん、設計施工を担当してくださった部署の皆さん、そのほか関係してくださった全ての皆さんに深くお礼申し上げます。ありがとうございました。また、スロープの設置に際して、議席の位置を快く代わってくださった神崎議員に心から感謝申し上げます。
 今後予定している公的施設の整備に当たっては、あらゆるハンディキャップがバリアとならないよう、可能な範囲で合理的配慮をしてくださいますようお願いいたします。
 それでは、質問に入ります。
 1月27日の参院予算委員会で、菅首相は、立憲民主、社民会派の石橋通宏議員に対する答弁で、定額給付金の給付について予定はないと改めて述べるとともに、政府のセーフティーネットとして最終的に生活保護があると言い放ちました。この発言は大炎上し、ハッシュタグ、もう要らないだろう自民党、菅やめろの大合唱となりました。新型コロナウイルス感染拡大の影響で生活に苦しむ人たちへの対策を求める質問に対して、政府には、最終的には生活保護というそうした仕組みもあると、投げやりな答弁をしました。牧師でNPO法人抱樸の代表である奥田知志さんは、自助・共助・公助に序列や順番があってはならない。公助を後回しにしてはいけない。困った人に共助や公助が先にあれば、人はそれを支えに自助に向かえる。そして、国や周囲に助けられた人が、今度は別の誰かへの共助や公助を支えていけるとおっしゃっています。菅首相の言う共助や絆にも、安上がりな公共という、せこさとうさんくささを感じてしまうのは私だけではないはずです。元バンドマンの無職のプータローを親のコネで大臣秘書官に抜てきし、大臣を退任する際に、父親の後援者が創業した企業、しかも事もあろうに所轄監督する東北新社に就職させて、何の実績もないのに子会社の取締役に就任し、古巣の省庁の官僚を接待するというのも、ある意味、共助や絆と言えなくもありません。最終的に生活保護があるというのは、当たり前の話です。国民が求めているのは、こういう答えではなかったはず。生活保護に陥らせないようにするのが、政治の役割ではないでしょうか。
 そこで、市長にお伺いします。
 菅首相のこの発言をどう感じたかは聞きませんので、政治家として、市民に安全で安心な生活を保障し、生活保護に陥らなせないようにするためには、どのような施策が必要だと思われますか。市民の命と暮らしを守り、引き続き市民から信頼される南国市のリーダーたろうとする平山さんの決意をお聞かせください。
 次に、その生活保護が最後のセーフティーネットとして機能しているかどうかについて、検証していきたいと思います。
 厚生労働省のホームページには、生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにでもあるものですので、ためらわずに御相談くださいと書かれています。生活保護基準以下の世帯で実際に生活保護を受給している世帯数の割合のことを捕捉率と呼びますが、厚生労働省はこの捕捉率について、2018年時点では22.9%にとどまると発表しています。なんと生活保護の必要な人のうち4人に1人以下しか、実際には生活保護を受けていないことになります。厚労省の大甘の推計値でこれですから、憲法25条の定める生存権の保障が行き届いていないと言わざるを得ません。生活保護に対するヘイトでは、すぐに不正受給がとか言われますが、生活保護の不正受給率は1%未満で、一般の犯罪率よりはるかに低いことはあまり知られていません。日本の生活保護利用率は全国で16パーミル、先日福祉事務所にお聞きしたら、南国市で現在21.22パーミルだそうです。先進諸外国と比べると極めて低い数字にとどまっています。むしろ数百万人が保護から漏れている現実が見えてきます。ドイツでは、捕捉率64.6%、保護率で97パーミル、フランスでは捕捉率91.6%、保護率57パーミルとなっています。現在、日本で生活保護を受けている人は200万人程度ですが、仮に日本の捕捉率をドイツ並みに引き上げると、利用者は717万人になります。
 そこで、福祉事務所長にお聞きします。
 生活保護の捕捉率が低く、保護から漏れている人が多くいることが、逆に保護基準以下の人が多くいるのに、のうのうと生活保護を受けて、といったような差別や妬みの一因になっているとは思いませんか。言うまでもなく、生活保護は憲法25条を具現化する最後のセーフティーネットです。この網から漏れたら、ほかには助ける手段は何もありません。であるならば、生活保護を受けることを阻む障壁はできるだけ低いほうがよい。捕捉率はできるだけ高いほうがよい。水際作戦を徹底し保護を増やさないことよりも、1人の取りこぼしも作らないことにプライオリティーを置く。捕捉率100%を目指していくべきではありませんか。この質問には、福祉事務所長の御所見と、市民の暮らしに責任を持つ市長の政治家としての決意もお聞かせください。
 それでは、なぜほかの先進諸国に比べて日本の保護率や捕捉率は低いのか、何が障壁となっているか、見ていきたいと思います。
 まず、扶養照会の問題です。扶養照会は、申請者の親族に対し、扶養、金銭的援助などの可能性についての文書を送付する制度です。生活保護申請を家族に知られることを恥だと思う人も多く、保護申請の大きな障害となっています。扶養義務と生活保護との関係については、生活保護法で、民法に定める扶養義務者の扶養は保護に優先して行われるものとすると定められています。これは、保護受給者に対して扶養義務者から仕送りなどが行われた場合には収入として認定し、その金額分だけ保護費を減額するということです。ここで注意しなければならないのは、民法上の扶養義務が保護を受給する上での要件とはなっていないということです。
 1月28日の衆議院予算委員会において、共産党の小池晃議員の質問の中で、田村厚生労働大臣は、扶養照会は義務ではございませんと3回も繰り返し答弁しました。生活保護法において扶養照会は義務ではないと正式に国会答弁されたのは初めてのことであり、画期的なことだと思います。生活保護制度は憲法に定められた生存権を実現するための法律であり、親族が扶養の義務を果たしていないことで、この人権の実現が妨害されるのは明らかに不合理です。しかし、日本の生活保護法では、扶養の可能性についての照会自体は行われてしまうため、保護申請を親族に知られることになる。これが保護申請の大きなハードルとなっていました。
 この日の質疑では、利用者の申請をためらわせている扶養照会を行った結果、ほとんど援助に結びついていない実態も明らかになりました。田村大臣の答弁によると、3.78万人、これ、全体の扶養照会件数、28年7月に保護を開始した世帯に関する扶養照会の状況についての調査を平成29年度に行っておりますけれども、この中で金銭的な援助が可能と回答した件数は3.8万件中600件でありますが、と続いています。大変な手間をかけて照会を行って、1%そこそこの成果。南国市では、令和元年度に照会した総数129件中、金銭的援助につながった件数たった2件、率にして1.55%となっています。
 こんな可能性の低い無駄な労力をかけるのはやめませんか。少なくとも、利用者がこの親族には連絡しないでほしいという人には扶養照会するのはやめませんか。DVの可能性のある親族や、そもそも人間関係の壊れている人に照会しないのは当たり前のこと。人間関係がまだ壊れていないからこそ、知られたくない身内だっているはずです。第一、本人が知られたくないと思う人が援助してくれるはずもありません。考えてみてください。妹の嫁ぎ先に問合せが行く、あるいは兄嫁に知られるくらいなら保護なんて受けなくていい、死んでも構わないと思っている人がいることに思いが及びませんか。それでも扶養照会をかけるというのは、嫌がらせでしかありません。扶養照会は心理的なハードルとなって、申請を諦めてほしい、何ならお兄ちゃん、恥ずかしいからやめてといった、身内からのプレッシャーで取り下げてくれたらラッキーと思っている、情のないケースワーカーばかりではないはずです。福祉事務所長の御所見をお聞かせください。
 次に、持家の件です。
 厚生労働省のホームページには、持家がある人でも申請できます。利用し得る資産を活用することは保護の要件ですが、居住用の持家については保有が認められる場合があります。まずは御相談くださいと書かれています。しかし、いまだに私は持家があるから駄目だと思っている人が少なくありません。何をぜいたく品と見るかは、時代によって大きく価値観が変わってきました。ある時期まで、クーラーはぜいたく品として保有が認められていませんでした。冷蔵庫や腕時計の保有が認められなかった時代もあります。初回訪問時に、ケースワーカーがたんすを開けて、一振りの着物以外は処分するように指導していた時代もあったそうです。そんな大昔から、生活保護法では、よっぽどの大きな屋敷でもない限り居住用の持家の保有が認められなかったことなどありません。にもかかわらず、持家があると生活保護は受けられないと誤解している人が多くいるのは、国や実施団体は積極的には広報してこなかったから。誤解したまま申請が増えなければいい、生活困窮者を積極的に捕捉したくないという不作為を感じます。
 持家の中でもローンの残っている住宅については別で、生活保護法では保護受給中の資産形成は認められませんから、基本的にローン付住宅の保有は認められていません。しかし、例外として、金融機関が支払いを猶予している期間の保護受給は認められていることは、恐らく積極的には情報提供していないのではないかと思います。現役世代の中にも、コロナ禍で仕事を失い生活に困窮する人が多く出ています。そんな方が生活保護に陥ることなく、失業給付や求職者支援、自立支援制度によって自立に向かうことができればいいのですが、最悪の場合、生活保護しか頼るものがないけれども、ローン付住宅の保有がネックとなって生活保護も受けられない。一家心中するしかない。そんな悲惨なケースは絶対に産み出してはいけません。幸い、現在、金融機関もローンの支払い猶予や支払い計画の見直しには柔軟に応じてくれていますから、ローン付住宅を保有しているから駄目だと門前払いするのではなく、金融機関に支払い猶予の相談することも含めてアドバイスしていただけたらと思います。
 次に、車の保有についてです。
 南国市のホームページには、南国市福祉事務所の生活保護の手続のページの比較的目立つ場所に、保育所送迎のためにマイカーを所有できるか、の見出しでこう書かれています。生活保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われると法律に書かれています。そのため、一般にマイカーのような資産性のあるものの保有は認められていませんが、マイカー以外に通勤の方法がないか著しく困難な場合には、マイカーの保有が認められる場合があります。これとの関連で、自宅から勤務先まではバスや電車などの公共交通機関でのアクセスが可能なものの、子供の託児のために保育所を利用していて、保育所へ送迎して勤務するためにマイカー以外に通勤する方法が全くないか、または極めて困難な場合には、まずは公共交通機関で通える保育所への転入所を検討するものとされています。ちょっと何を言っているのか意味が分かりません。これを何回読んでも、保育所送迎のためにマイカーを所有できるかどうか分かりませんでした。生活保護法では、生業に活用するとき、つまり通勤や自営のために車を利用する場合であって、それにより収入認定が期待できるとき、半年以内に自立の見込みであるとき、そのほかやむを得ない事情があるとき以外は車の保有を認めていません。
 皆さん、考えてみてください。公共交通機関もあり、買物などの生活インフラが整っている南国市の中心部で暮らしている一部の人以外で、車のない生活が想像できるでしょうか。便数は少ないですが、コミュニティバスはまだ残っていますので、何とか通院はできるかもしれません。しかし、毎日数キロ歩かなければ量販店にも行けず、買物もできないという生活は想像もできません。保護申請の前に知り合いに名義変更しておくというのは、よく聞く話です。
 私が現役のケースワーカーの頃、ケースが高級車を乗り回しているという垂れ込みがあり、数日間、張り込んで現場を押さえ、廃止にしたことがあります。当時の私は、車の保有とアル中には厳しく、容赦がなかったですから。当時も車の資産価値なんて大したことないと思っていましたが、万が一事故を起こしてしまった場合の賠償能力がないことなどを認めない理由として、いっぱしに指導していました。しかし、これもよく考えると、保護受給者に限らず、たとえ公務員であったとしても、無保険で無制限に賠償責任が負えるわけでもありません。保護受給者は車を運転してはならないという不便を、ペナルティーとして甘受すべきであるという差別意識があったのかもしれません。地方においては、車なしでは生活できない現実に鑑み、軽四輪自動車に限り保有を認め、任意保険への加入を義務づけるというふうに、弾力的に運用するようにしませんか。そうすれば、保護を受けているくせにベンツに乗っているなどという、要らぬやっかみを生まなくていいと思うのですが。
 今もあるかどうか分かりませんが、私がケースワーカーだった当時、公的扶助の研究をする職員の自主グループがありました。結構真面目な研究グループで、不定期にではありますが、情報交換したり研修会を開いたりしていました。このグループの究極目標は、どのような条件がそろえば人は困窮するのかというプロファイリングのチャートを作ることでした。もちろん人が困窮に至る原因は千差万別であり、プロファイルなんて大それた野望はついに完成しませんでした。
 FBIがシリアルキラーを割り出すようなプロファイリングは完成しませんでしたが、人が困窮の網に引っかかるリスクが高くなるパターンは幾つか見えてきました。1つは低学歴です。傷病や母子など外形的な世帯類型に関係なく、構成世帯員の最終学歴は中卒が圧倒的に多いこと。貧困は世代を超えて連鎖するということ。生活保護世帯の親も生活保護で子供も生活保護という、3世代保護家庭は珍しくありません。時代背景も生活背景も異なっているにもかかわらず、なぜか生活保護に陥ってしまう。両親のどちらかがアルコール依存症の親に育てられた子供は、女の子の場合、中学卒業後間もなく世帯転出、独立するものの、すぐに駄目男に引っかかって、妊娠、出産を経て生活保護に逆戻りする、というのは見慣れた風景です。
 この貧困の連鎖を断ち切るために、南国市が取り組んでいる貧困世帯を対象とした学習支援プログラム、南国市子どもの学習・生活支援事業の実践はすばらしいものだと思います。この学習支援プログラムの現状についてお教えください。
 この取組については、市長部局の福祉事務所の指導で大変頑張って取り組まれていることには敬意を表しますが、学習支援プログラムの目的の中核をなす学力向上、進学率向上については、福祉事務所はどちらかというと門外漢で、少ない社会的リソースをやりくりして何とかやっているという印象があります。南国市教育委員会には、今日もあの子が机にいないことに胸を痛め、昭和25年に長欠不就学対策として、全国で初めて高知県に配置された福祉教員が、初期の頃から鳶ヶ池中学などに配置され、後の同和教育へとつながっていくすばらしい実践とノウハウがあるではありませんか。終戦直後の混乱期、日本には貧困ゆえに学校に行けない子供たちが数多くいました。そうした子供たちの家庭を昼夜のべつなく訪問し、子供たちや保護者、地域に寄り添い、粘り強く関わり続けた福祉教員たちの取組は、決して忘れてはならないものを私たちに教えてくれています。
 そこで、教育長にお伺いします。
 福祉事務所と連携し、教育委員会が持っている実践の知見やリソースを、生活困窮家庭の子供たちに、学力を保障し貧困の連鎖を断ち切るために、どういう協力の仕方があるとお考えですか。
 高知県同和教育略史の中に、昭和26年度から29年度の長欠不就学児童数とそのうち部落の子供の割合の調査資料が残っています。それによると、鳶ヶ池中学の場合、昭和26年度は、不就学生徒数が12人、うち部落の子供12人、不就学生徒に占める部落の子供の割合100%。昭和27年度、不就学生徒数15人、部落の子供15人、100。昭和28年度、不就学生徒数12人、部落の子供12人、100。昭和29年度、不就学生徒数14人、部落の子供12人、86%となっています。こういう数字を示すと、誰が部落の子供と既定したんだという声が聞こえてきそうですが、これは、決して行政が線引したわけでも教師がレッテルを張ったものでもありませんし、特定の地区に住んでいる子供を全て部落の子供とカウントしたわけでもありません。口に出すのも嫌ですが、えたの子、いわゆる旧身分の出身であるかないかは、誰かに決めてもらうまでもなく、本人も周りもみんな知っていました。問題が部落の子供たちに集中していたために、不就学児童対策はやがて同和教育と呼ばれるようになります。不就学と低学力の解消のためには、当然の帰結として、子供の家庭背景、とりわけ貧困とその原因である差別の現実に向き合わなければならなくなります。これが同和教育の始まりです。初めから対象を決め打ちして、特別扱いの教育をしてきたわけではありません。
 これとはちょっとアプローチの仕方が異なるのが、いわゆる同和対策事業と呼ばれる面的な住環境整備事業です。差別と貧困、そして行政の不作為によって、かつての同和地区は劣悪な生活環境に置かれていました。劣悪な生活環境は差別を再生産し、新たな貧困を生み出します。これ以上、この状態を放置することは著しく社会正義に反すると同和対策審議会答申が出され、それに沿って、それぞれの自治体で事業計画が策定されました。住環境整備のハード事業ですから、行政は当然のこととして、ここからここまで事業をしますという線引きをしました。決してこの線の内側に住んでいる人は全員これから部落民とみなします、という線引きではありません。事業線引きされた地区内には、旧身分出身でない方も住んでいます。行政用語でいう混住率は、地区によって割合が違いますが、旧身分出身の、いわゆる部落民とそうでない方々は、ふだんは普通に同じフィールドで生活していました。差別が当たり前の時代ですから、差別意識はあったかもしれませんが、ふだんは特に目に見える対立や緊張関係があったわけではありません。緊張が高まるのは、むしろ事業決定されてからのことです。
 行政が線引きして地区指定したために、その内側に住んでいる普通民が、部落民におとしめられたと行政に抗議行動するような事例も、県外にはあったそうです。野中の事業決定の際には、そこまでエキセントリックな反応はありませんでしたが、うちは違うと不機嫌なオーラを全身で発散する人や、言葉の端々に、あなたたちとは違うからという、どうでもええアピールをしてくる人がいました。植木等さんのお父さん、植木徹誠さんは、真宗大谷派の僧侶で、戦前の部落解放運動にも関わった経歴を持つ進歩的な方です。彼自身は旧身分の出身ではありませんが、後にインタビューに答えて、自分は部落民ではないと口にした途端に部落差別になるとおっしゃっています。ふだんは上品な御婦人が、腹の底ではこんなふうに自分たちをやしべて見てたんやと悲しい気持ちになりました。ほんのごく少数ではありますが、同和対策事業には協力したくないという人の存在が、事業の進捗を困難なものにしていました。その後、環境整備が進むうちに、相対的に同和地区より生活インフラ整備が遅れている集落も目立つようになり、妬み意識や逆差別論を確信犯的に流布する一部の人たちも現れました。
 しかし、考えてみてください。部落民は、いつの時代でも最底辺の住環境に甘んじなければいけないんですか。ほかの地区より少しでもよくなればやっかみを受けるんですか。部落民はいつでも自分たちより下でなければいけないというロジックは、逆差別どころかレイシストの論理そのものです。
 南国市議会は、平成8年に同和対策の終結決議というものを全会一致で決議しています。私は、この決議には全く異論がありません。ハード事業はだらだらとやるものではないし、終わったらすぱっと宣言でも決議でも好きにしたらいいと思います。しかし、特別措置法の終結による事業の終結は、部落差別がなくなったということを意味しません。私が南国市議会に来たばかりのときには、特別措置法が終了し、地域の人の線引がなくなった今、行政上、同和地区も同和関係者も存在しません。一般行政に移行している現状や、その趣旨が反映をされること、うわさ話など事実や目的が確認されていない内容は取り上げないことなどという、見識を疑うリテラシーの低い論議がまかり通っていました。さすがに今では、南国市議会でこんな論議を聞くことはなくなりましたが、ほかの自治体議会には、どんな人権政策にも脊椎反射のように反対する議員がいます。ごく穏健な当たり前のあらゆる差別をなくすための行動指針であっても、顔を真っ赤にして、議員生命をかける勢いで反対してきます。何と闘っているんだか。消防車が走り回るから火事がなくならないみたいなことを言う、残念な人がいます。
 昨年の12月に、土佐清水市議会でこんなやり取りがありました。土佐清水市人権を尊重する社会づくり条例の改正をめぐってのやり取りです。12月14日午前、議案第85号土佐清水市人権を尊重する社会づくり条例の改正案に対する質疑で、発言者はM議員。条例改正に至ったのは、何らかの力が働いたからではないか。同和問題は特別扱いされている。優先されている。協議会は人権尊重の社会づくりに関し市長に意見を述べることができる、を加えたのはなぜか。協議会メンバーの選定は、附帯決議の運動団体の排除についてと、次々と持論を述べていきました。これらの質問に対して人権課長が丁寧に答弁しますが、本会議の質疑にそぐわない項目についてはお答えできませんとして答えませんでした。問題となるのは、この後の再質問。人権課長には、本市の11にわたる人権課題・分野での事例を述べていただきましたが、同和問題だけ、差別落書きと差別表記について上げられました。しかしながら、その差別落書き、中央公園、大岐、足摺の差別落書きにつきましては、書いた人物が特定できていないと思います。誰が何の目的で書いたか分からないものを、人権侵害の事例、差別落書きと判断してもよいものかどうか。ある県で運動団体の幹部が、部落差別の事例が少なくなったということで、自ら落書きをして問題化したということがあります。マッチポンプですよね。そういった可能性があるということを考えれば、誰が書いたか、何の目的で書いたか分からないものを、差別の事例として挙げる根拠を示していただきたいと思います。
 この日、傍聴していた2人の市民が、この聞くにたえない暴言にたまりかね、昼休みに入ったところで、人権課に問題発言ではないかと相談に行きました。相談を受けた人権課長は、市長と議長、副議長に相談の上で、すぐにテープ起こしをしました。発言内容を議長、副議長、市長、人権課長の4人で確認し、これは問題のある発言で、許されないことであるとの認識で一致、その対応を議会運営委員会に委ねることとし、その旨を告発者である市民にも伝えました。12月17日、議会運営委員会を開催。参加メンバーは、議長、副議長とM議員本人を含む7人。M議員を除く議会運営委員会の総意として発言の撤回を求めたが、M議員は、表現の自由と議場での発言の自由を盾に発言の撤回を拒否。何を言っても、責任は私が取るの一点張りで、話合いに応じようとはしませんでしたが、問題の発言を含む議会中継のユーチューブ動画は、現在閲覧制限されています。
 言っていいことと悪いことがあるでしょう。戦前からタイムスリップしてきた森会長のような人が、酔って居酒屋でヘイトをわめき散らしているならともかく、公式の場で議事録に残る形でこんな放言をするというのは信じられません。想像してみてください。日本人旅行者が、ニューヨークの路地裏でビルの壁にniggerとスプレーで落書きされているのを発見したとします。それをスマホで撮影し、英語で、誰がどういう目的で書いたか分からないから問題にすべきではない。落書きはただの落書きだから消したらよい。アフリカ系アメリカ人が自作自演で書いた可能性だってあるとツイッターでつぶやいたとしたら、どんな反応が返ってくると思いますか。こんな確信犯的な言動を繰り返す議員は、同僚議員や市民から幾ら抗議があっても聞く耳を持たないでしょうから、政治信条を同じくする方が、そんな発言は今となっては恥ずかしいことだからやめなさいと助言してあげていただきたいと思います。こんな人が一人でもいるうちは、社会変革を願う市民の共闘、本気の共闘などできるわけもありません。DHC会長の発言を気持ち悪く思うのは、こういうあからさまな差別者が会社のトップにいてもいいんだという人権感覚の鈍磨した組織風土と、そんな会社と協定を結んでいても問題ないとする自治体はある。あらゆる差別を許さないと言っている自治体がです。そんなところに気持ち悪さを感じるのだろうと思います。
 皆さんのお手元に、土佐清水市人権を尊重する社会づくり条例と黒潮町人権尊重のまちづくり条例、高知市人権尊重のまちづくり条例の文面の写しを配付していただきました。よくお読みになっていただけたらと思いますが、これが必死になって成立を阻止しなければならないようなものですか。至極真っ当で当たり前のことしか書いてありません。個人的な感想を言わせてもらえば、差別のない社会の実現のための条例としては、当たり障りのない具体的中身に欠けるたっすいものです。これに必死になって反対する姿を見ていると、ああ、この人たちは差別がなくならないほうがいいんだと思ってしまいます。オリンピック憲章とその理念実現のための行動計画、アジェンダ2020のほうが、よっぽど踏み込んだことが書かれています。
 森会長の辞任騒動からも分かるように、人権問題はその扱いを誤ると大きな非難にさらされ、国際的な尊敬と信用を失うばかりではなく、大きな経済的損失を被り、国益を損ないます。今や人権問題は世界においてはそれだけセンシティブな問題となっています。海外のマスメディアに配信されるような公式の場で、政治家が不用意に逆差別論などを口にしようものなら、大バッシングを受けることは間違いありません。人権尊重のまちづくり条例が成立したら、同和利権が復活する可能性がありますか。特定の団体を利することにつながりますか。自由に差別できなくなるじゃないかと、逆ギレしているようにしか聞こえません。
 そこで、市長にお伺いします。
 差別解消三法の理念を具現化するための行動指針である人権尊重のまちづくり条例を、この南国市でも制定するおつもりはありませんか。今の南国市議会にいる議員さん方は、立派な見識をお持ちの方ばかりですから、以前のような強い反対はほとんどないと思います。もし万が一、反対されるような方がいたら、こんなことを言って反対してると英語に翻訳してツイッターに上げようと思います。
 これで第1問を終わります。
○議長(土居恒夫) 答弁を求めます。市長。
      〔平山耕三市長登壇〕
○市長(平山耕三) 中山研心議員の御質問にお答えいたします。
 まず、1点目の生活保護に陥らせないようにするためには、という質問に対しましてでございます。
 困窮の理由といいますのは、中山議員の御質問の中にもありましたように、人によって様々でございまして、またその理由も複数の要因が複雑に絡み合っていることが多いと考えられます。このたびのコロナ禍によります緊急的な生活支援施策というと、社会福祉協議会が行っております総合支援資金の特別貸付けなど、緊急に対応できる貸付制度と、償還免除の制度設計が有効であると思いますし、給付金の制度も生活を後押しし勇気づける上では有効であると考えるところであります。
 しかしながら、生活保護に陥らせないようにするための一つの提案というものは難しいところでございまして、やはり福祉政策にとどまることなく、雇用政策、教育政策、経済政策など、様々な分野、部門が連携し合いながら、市民の困窮に対し、積極的に支援していくための仕組みづくりを行う、そういった市民の暮らしと安全を守る姿勢に努めてまいる所存でございます。
 また、捕捉率100%を目指していくべきではないかということでございますが、助けを必要とします市民に対しまして、1人の取りこぼしもつくらないことを目指す、捕捉率100%を目指すということは、非常に重要なことであると認識しております。また、多様な相談支援の場を提供することが、様々な困窮者に対する支援の基本となると考えておるところであります。一例を挙げるならば、高齢者であれば包括支援センター、障害者であれば地域活動支援センター、社会福祉協議会の生活困窮者相談、税務課での滞納相談など、個々のセクションが相談のプラットフォームになる、それが地域支援の在り方も含めた、相談しやすく、制度の利用につながる仕組みづくりになると考えております。併せて職員の資質向上を目指し、市民に寄り添った支援のできる専門職としての生活保護担当員や相談支援員の育成に努めてまいる所存でございます。
 続きまして、差別落書きいうことでございますが。niggerということでございまして、それについてどのように思うかということであります。その表現につきましてのツイッターでつぶやきということに対して、そのようなことをすれば、もちろんお叱り、お怒りのお言葉をいただくということになろうかと思います。多くの人の反感を買うということにつながると思います。
 続きまして、人権尊重のまちづくり条例の制定ということでございますが、高知県が掲げる11の人権課題に対しての市の姿勢を示すものとして、条例の制定は必要であると考えております。6月議会での条例案の提案を目指し、作業を進めてまいりたいと考えております。以上でございます。
○議長(土居恒夫) 福祉事務所長。
      〔池本滋郎福祉事務所長登壇〕
○福祉事務所長(池本滋郎) 中山議員の御質問にお答えをいたします。
 まず、生活保護の捕捉率が低く、保護から漏れている方が多いということで、生活保護差別につながるんじゃないかということでございますけれども、捕捉率が低いことと生活保護利用者に対する差別意識の因果関係につきましては、確かな確証がございませんので、申し上げる立場にありません。しかしながら、そのような考え方があることは存じております。生活保護が市民の権利としてしっかり市民の中に根づくように、制度の説明や捕捉率向上に向け、努力をしてまいりたいと考えております。
 また、捕捉率100%を目指すべきではないかという御質問に対しましては、1人の取りこぼしもつくらないことを目指す捕捉率100%ということは、福祉事務所が優先して取り組むべき課題であると考えております。現在、窓口では生活保護の申請意思が確認できた場合については、全ての相談者に申請書を交付、また申請を受理しております。また、相談・申請に至らない困窮者を捕捉するために、関係諸機関との連携を重視し、社会福祉協議会における生活相談会、また困窮者支援事業に係る相談について、積極的に生活保護担当職員が同席するようにしております。令和2年度におきましては、社会福祉協議会の困窮支援施策相談会において、要保護状態であると認めて、福祉事務所として制度の利用を助言し、生活保護申請に至ったケースもございます。今後も、そのほかの手段も含めて、困窮者把握、捕捉率向上のために努力をしてまいります。
 また、親族への扶養照会をやめないかという御質問ですけれども、生活保護法施行に当たりまして、実施要領は、まず制度利用者からの扶養の可能性を聞き取り調査することとなっております。そのため、知られたくないという希望全てに沿うことは困難な面はあると考えておりますけれども、利用者から扶養義務者との関係性を含めて聞き取りを行い、扶養の可能性の有無を判断しております。扶養の可能性のないものと判断した場合や、直接照会を行うことが適当でないと判断した場合は、扶養義務者への照会は行っておりません。
 御指摘のありました令和元年度の照会総数129件っていうのは、扶養義務者総数316件中の129件でございまして、言い換えれば、残り187件については直接照会が不要、もしくは不適当と判断していることとなります。また、令和3年2月26日、つい先日でございますけれども、実施要領が改正されまして、厚労省から事務連絡内容を踏まえまして、関係性の判断についてはより慎重かつ丁寧に判断を行うよう、職員に周知徹底をしたところでございます。
 また、持家があると生活保護は受けられないという誤解をしている方が多くいるのではという御質問ですけれども、資産の保有者につきましては、資産価値や利用の状況を判断の上、保有の認否を行っておりまして、居住用の資産については積極的に保有を容認しているところでございます。ただし、65歳以上の方で居住用不動産の評価額がおおむね500万円以上のものに居住している場合など、生活保護制度の運営上、不動産担保型生活資金の利用を指導することとなっておりますので、生活保護を受けられないということではございませんけれども、ほかの制度を利用してもらわなければいけないような場合もございます。このことも含め、正確で丁寧な広報・説明を行っていきたいと考えております。
 また、ローン残債がある居住用資産保有者からの申請につきましては、直近5年間で事例が直接ございませんので、お答えしかねる部分がありますけれども、かなり以前に、相談後申請に至った世帯において、実施要領及び取扱い問答に従いまして、中山議員の御指摘のとおり取り扱い、速やかに保護をした事例がございます。
 また、公共交通機関がない所につきましては、軽四輪自動車の保有を認めるということでございますけれども、これも生活保護実施要領上、事業用資産、これは通勤用自動車等も含みますけれども、あと障害者の通院用自動車、交通困難地の通院用自動車については保有が認められております。いずれの場合においても、資産価値が低いことと維持管理費用の捻出が可能であることが条件となるため、就労収入の基礎控除や障害者加算、親族からの扶養援助などにより経費が賄われる場合において、排気量が低く年式が古いなど、資産価値が高いとは認められない自動車については、任意保険の加入が確認できた場合に保有を容認しております。
 居住用資産や自動車も含めた資産活用につきましては、保護のしおりを令和元年度に全面改定し、居住用の不動産は原則として保有が認められます。また、個別の事情によっては、自動車やオートバイ、生命保険、学資保険の保有が認められる場合もありますので、御相談くださいとの記載をいたしました。
 また、御指摘のありましたホームページの記載が分かりにくいという点については、近日中に表記を分かりやすく改めます。
 最後に、南国市子ども学習生活支援事業における学習支援プログラムの現状についてでございますけれども、生活困窮世帯の子供が、自ら困難を解決できる力をつけ貧困の連鎖を防ぐことを目的に、平成23年度から進学に向けた中学生への学習支援や保護者への養育支援等を行っております。令和元年度は、最後まで通ってきました中学生については、全員高校へ進学することができました。また、この事業により進学した高校生を対象に、高校中退防止のための学習支援を行い、令和元年度は延べ1,167名、令和2年度、こちらは新型コロナウイルスの感染拡大がございまして利用人数が減少しましたが、1月末までで延べ593人の生徒が利用しております。なお、生活保護世帯につきましては、学習支援員が担当ケースワーカーと自宅を訪問し、生徒本人及び保護者へ直接、学習支援室への参加勧奨等を行っております。また、教員OBの支援員を雇用しておりますので、学校訪問等の際に直接学校長へ、気になる生徒がいた場合に、学習支援室を勧めてもらうようにお願いをしております。以上でございます。
○議長(土居恒夫) 教育長。
      〔竹内信人教育長登壇〕
○教育長(竹内信人) 中山議員さんの質問にお答えをいたします。
 まず、福祉事務所との連携を行いまして、学習支援室、教育委員会のどういった教育の仕方があるのかということですが。まず南国市の同和教育は、今日も机にあの子がいないという現状に胸を痛めた教員らによりスタートし、福祉教員における先輩方の取組から、今日の人権教育の取組、実践へとつながっております。こうした歩みは、学力保障、進路保障など、同和教育の中核的な取組であり、差別により生活に困窮していた家庭の貧困の連鎖を断ち切るためには、学力を保障し、進路を切り開く必要があるとの共通の思いであり、また、このことは変わらぬ教育理念の不易の部分だというふうに考えております。
 さて、御質問のありました福祉事務所との学習支援プログラムにつきましては、昨年度から、学校教育課の指導主事が学習支援室の運営委員会に参加させていただいております。この運営委員会に参加させていただきながら、市内の中学生等がこのプログラムに参加している状況の把握や支援内容を学校教育課として確認させていただき、教育委員会としてやれることを、またやるべきことを行っているところでございます。
 南国市教育振興基本計画では、厳しい環境にある子供たちの貧困の世代間連鎖を教育によって断ち切る支援策の徹底を施策の柱に位置づけており、まさにこうした生徒の学力保障、進路保障を実現していこうと目的を共有する中で、福祉と教育それぞれの専門分野や資源を生かした連携が重要であると考えております。今後も教育委員会としまして、学習支援室の運営委員会に関わる中で、具体的に連携強化をしてまいりたいと考えております。
 2点目の落書きの件につきましては、先ほど市長が答弁を申し上げましたと同様、落書きそのものが人権侵害、人権問題であるわけですので、誰がとか、何の目的でとか、そういった問題ではないというふうに考えております。
○議長(土居恒夫) 生涯学習課長。
      〔中村俊一生涯学習課長登壇〕
○生涯学習課長(中村俊一) 特別措置法の終結による事業の終結は、部落差別がなくなったということを意味しませんとのお言葉には、私も同じ思いでございます。また、事業施行時の妬みや逆差別についておっしゃられましたが、そういった差別の解消に向けまして、ソフト面でも、同和教育や隣保館事業をはじめとした施策が推進されてきたところでございます。
 しかしながら、平成28年に制定された部落差別の解消の推進に関する法律の第1条には、現在もなお部落差別が存在するとともに、との記述があり、国が部落差別の存在を認めた形となってございます。また、高知県が掲げる11の人権課題の中にも同和問題がございます。このように、部落差別の解消に向けたソフトの施策は、ハードが終了した現在においても継続する必要がございますし、それは決して特定の団体を利するためのものではございません。他市の議会でのやり取りとかございましたが、人権のまちづくり条例とか人権尊重のまちづくり条例とか、そういった条例につきましては、南国市で制定するといったことを考える場合は、11の人権課題について、市の責務や市民の役割等を規定するもので、特定の偏った考えに基づくものではないと考えております。たっすいと表現がございましたけど、中身については、また吟味して検討してまいります。以上でございます。
○議長(土居恒夫) 中山議員。
○13番(中山研心) それぞれから回答をいただきましてありがとうございます。
 生活保護に陥らせないようにするためにはどのような施策が必要かという問いに対しては、抽象的で、具体の施策の提示が少なかったのを残念に思いました。生活保護の捕捉率100%を目指すべきではとの質問には、大変前向きな心強い回答をいただきました。しかし、今の役所の対応は、全ての人に門戸は開かれているのだから、困っているのなら申請すればいい。何が生活保護を申請することをためらわせているのかは知らないが、申請しないのは本人の勝手だから、あとは自助でやってもらうしかない。行政はあずかり知らぬ、それが申請主義というものだというものです。建前としては、できるだけ多くの困窮者を救いたいと言わなければならないものの、これ以上生活保護が増えることも歓迎しないという本音が見え隠れします。社会保障の冗長性やセーフティーネットの多重性確保には全く無関心で、最終的に生活保護があると言い放つ人をリーダーに持つこの国で、実施機関である地方自治体が、申請主義を言い訳に生活困窮者を積極的には捕捉しようとしないならば、もはやこの国は壊れている。守るべき祖国など、どこにも存在しないと言わざるを得ません。生活保護の障壁となっているものがあれば、見直していく、保護申請をためらわせているものが誤解であるならば、きちんと広報し、誤解を解いていく、それが行政の使命ではないでしょうか。
 扶養照会についても、たとえ親子であっても完全に別人格だからと、総理大臣自らがおっしゃっているのですから、しなくていいのではないでしょうか。御所見をお聞かせください。
 保護率が上がれば、現場の仕事は忙しくなります。その当たり前の現実が、水際作戦を徹底し、保護を抑制するといったインセンティブに働かないように、保護件数が増えたら増えた分だけ機動的にケースワーカーを増員するということも、併せてよろしくお願いいたします。
 生活保護の手続のホームページをリニューアルする際には、車の保有を認めるのか認めないのか、よく分からない記載はあっさり削除し、持家のことや扶養照会のことなど、保護申請をためらわせている不安を取り除く広報に、より注力すべきではありませんか。車の保有について書くならば、マイカーの保有は認められる場合があります、御相談ください、でよくないですか。御所見をお聞かせください。
 1問目で、貧困リスクについて低学歴と世代間連鎖の話をしましたが、さらに女性であるというだけで、貧困リスクは高くなります。女性の非正規雇用の割合は6割を超え、男性よりはるかに高いですから、所得が低いことはもちろん、現在のコロナ禍のように、対人サービス業が時短営業しているときや営業不振のときには、雇用の調整弁として真っ先に解雇されます。男性が結婚の失敗によって困窮するというのはめったにありませんが、女性の場合は、多くの場合、貧困に直結します。就職、結婚、出産といった、本来は祝福されるべき人生の大きなイベントでさえ、女性に生まれたというだけで、漏れなく貧困リスクがついてきます。
 学習支援プログラムの実施に当たっては、恐らく男女の分け隔てなく公平な援助を心がけていることだとは思いますが、現実社会の中では、女の子のほうが貧困に陥るリスクが高いことを考えたら、女の子に手厚く傾斜配分した支援を行うことのほうが合理的であるとさえ思います。それをえこひいきだ、逆差別だなどという人は、同和教育を批判する人と同じ精神構造を持った人なので、無視すればいいと思います。御所見をお聞かせください。
 生活保護は、子供の進学に対しては極めて冷淡です。進学しても、学費はもちろん何の就学援助も加算もありません。生活保護にとって高校進学を認めているケースとは、義務教育終了後は速やかに働いて家にお金を入れてもらうというのがデフォルトであるけれど、高校へ進学することが世帯にとって将来の自立更生に資すると判断し、直ちに稼働能力の活用をすることを免除し、高校へ通うことを認めている特別なケースにすぎません。元朝日新聞の記者で、職業政治家小沢一郎の著書もある作家の佐藤章さんの生活保護のルポルタージュの中に、お母さん、私、高校には行けないんだよね、という少女の話が出てきます。子供にこんな悲しい言葉を言わせないのは、行政のみならず、私たち全ての大人に課せられた責任ではないでしょうか。
 私がケースワーカーをしていたのは、1990年代後半のことです。当時、私が担当していた1人のケースの話をさせてください。障害を持つ20代半ばの単身女性です。彼女は、当時あまり知られていなかった進行性の難病を患っていました。私もケース記録で前任者の書いた処遇方針を読んで、そういう病気があることを知りました。病気の名前は脊髄小脳変性症。今の私と同じ病気です。木藤亜也さんの書いた「1リットルの涙」が、沢尻エリカ主演でドラマ化されて、この病気が一般に認知されるようになったのが2005年のことですから、当時はまだまだ珍しい病気でした。この病気は歩行障害、言語障害から始まり、いずれは寝たきりとなり、最後は呼吸困難か飲み込みができなくなって、多くの場合、誤嚥性肺炎を引き起こし、死亡転帰という経過をたどります。若くして発症した場合、進行、転帰が早いので、彼女も30歳まで生きられないだろうと思われていました。言語障害のため、コミュニケーションに時間はかかるものの、認知に問題はなく、ワイドスタンスで左右に体を揺らしながら歩くような脊髄小脳変性症特有の歩き方でしたが、自力歩行ができていました。自家保有を認めている数少ないケースの一人でもありました。比較的高知市内中心部にありながら、売却しても600万円程度にしかならない古い小さな家です。あるとき、彼女がこんなことを言いました。旅行がしてみたいんです。私は家を売ることを提案しました。本来、生活保護受給中に不動産の処分をした場合は、当然63条文書指示もしていますから、売却代金は全額国庫への返納となります。そこで、代金が振り込まれる前に保護を辞退してしまえとアドバイスしました。それなら国庫への返納は発生しません。もともと彼女は障害年金を受給しており、住宅扶助費も支給されていなかったため、僅かの保護費しか出ていませんでした。特定疾患と障害者医療の適用対象であったため、医療費の自己負担も発生しません。アパートを借りて、家を売った残りのお金で歩けるうちに海外旅行でも何でもやってみたいことがあればやってみたらいい。死ぬまでにしたい10のことを全部やって、お金を使い切ったときに、言い方は悪いけど、まだ生きていたら、もう一度保護をかけてあげるから、心配しないで相談においで。不動産の売買契約の場にも立ち会いました。その後、私が退職するまでの間に彼女から相談はありませんでしたので、恐らく亡くなったのだろうと思います。彼女の残りの人生がどのようなものであったのかは知りませんが、悔いのないものであったことを願っています。
 生活保護の現場はきれいごとばかりではありません。私にとっては大好きな職場でしたが、福祉課に配属された途端に鬱になってしまう職員もいます。清く貧しく美しくなんて、映画のようなことはめったにありません。アディクションや何らかの問題を抱えた人もいます。それでも、ケースワーカーの仕事は、決して保護を受けさせないための番人なんかではありません。弱者の命を守る最後のとりで、それも極めて脆弱なとりでの中で、誰の助けもなく、孤立無援で血みどろになって闘っている衛生兵なんだということを申し上げて、日々現場で奮闘しているケースワーカーの皆さんへのエールといたします。
 平成23年に発覚したプライム事件を契機として、不正取得された個人情報が、人権侵害や犯罪に悪用されている実態が全国で明らかになりました。行政書士や弁護士が職務上請求書を使えば、戸籍謄本の写しなどを特別な理由を明示することなく取得できることを悪用して、身元調査目的で利用することを承知の上で、行政書士が興信所に職務上請求用紙を横流ししていた事件です。問題の行政書士は、この南国市にも不正請求をしていたことが分かっています。結婚相手の身元調査として、被差別部落の出身者であるかないかの調査はもちろん、直系の親族に身体障害や精神障害などの遺伝的傾向を持つ人がいないかどうかの調査、ビジネスパートナーや採用予定者の信用調査として、身内に犯罪者やコミニストがいないかなどの調査がされたことが分かっています。なんと組織暴力担当の現職警察官の身元調査もされていました。ストーカー目的や報復、嫌がらせ、犯罪目的の調査もあったに違いありません。
 個人情報の不正取得に関して抑止効果のある本人通知制度の導入の機運が高まり、本市におきましても、平成26年7月より事前登録型本人通知制度が施行されました。初めは、ほかの自治体と同様に、登録適用期間3年、自動更新はされず、更新手続をしなければ登録抹消される仕組みになっていました。しかし、本人が死亡した場合か特段の理由があって登録の抹消をしたいという意思表示があるまで、登録を抹消する理由が見当たらないため、適用期間制限の撤廃を求めていましたが、平成29年に全国に先駆けて期間制限を撤廃していただきました。これは多くの自治体から高く評価され、お問合せもいただいております。お隣の高知市も、南国市に倣って本年度から期間制限が撤廃されました。
 多くの方は、そんな先進的な取組をしている南国市に人権条例がないことに驚かれます。市長からは、明確に6月議会に人権条例を提案してくださるとの回答をいただき、大変うれしく思います。ありがとうございました。条例の本文そのものは、どこの自治体のものも似たり寄ったりですが、いかに格調高い前文を置くかが腕の見せどころですから、工夫してみてください。
 DHCとの協定の問題では、同社の公式オンラインショップに吉田会長名で、在日韓国、朝鮮人に対する差別的な文章が掲載された問題で、本市と同様に包括連携協定を結んでいる茨城県行方市の鈴木周也市長は、2月22日、今後の発言内容によっては協定を撤回する可能性もあるとの考えを明らかにしました。至極真っ当な対応だと思います。
 そこで、市長にお伺いします。
 DHCとの協定を、今後見直すおつもりはありませんか。もはや会社のオーナーがたまたまレイシストだったということではありません。個人のブログに書いたということではなく、会社の公式ホームページに特定の民族への差別をあおる文章を掲載したわけですから、会社として、差別扇動をする明確な悪意があったということになります。これまでとは明らかに違う、新たなフェーズに入ったと言えます。はっきり物を申されているなではなく、毅然とした態度を取るべきだと思います。今後、南国市としてどうすべきとお考えなのか、政治家として覚悟を決めた御回答をいただきたいと思います。
 以上、第2問といたします。
○議長(土居恒夫) 答弁を求めます。市長。
○市長(平山耕三) まず、私のほうからDHCとの協定についてお答えいたします。
 DHCの会社の公式ホームページに、国籍、人種、民族などを理由とした差別を助長するような文章を公然と掲載されたということは、非常に残念でありまして、本当にあってはならないことであると考えております。DHCとは平成29年に包括連携協定を締結し、市民の健康増進に協力していただいているところでありますが、そのとき、協定を締結した担当者を介しまして、削除の申入れを行いたいと思います。また、削除がされない、また削除されても再度このような発言が掲載されるようなことがありましたら、協定の解消ということも考えていきたいと思います。以上でございます。
○議長(土居恒夫) 福祉事務所長。
○福祉事務所長(池本滋郎) 中山議員からお話がありました、扶養照会しなくてもいいんではないかと、再度御質問いただきました。本当に真に必要なケースのみ、個別に慎重に検討を行い、必要な扶養照会のみ行うように心がけたいと思います。
 あと、ホームページも、持家、車、特にそれが生活保護受給のハードルになるというのは事実でございますので、認められる場合というのを前面に打ち出すという、そういう御指摘いただきましたので、またホームページの記載等につきましても、そのように変更したいと考えております。
 また、学習支援室で、男女、特に女性が貧困に陥りやすい、確かにそれは生活保護を見ておりましても事実であると思います。学習支援で女性の貧困っていう視点は、ちょっと僕も今まで考えておりませんでしたので、指導員の先生、また定例会等でも、そういうことにも気をつけてということで配慮するように指摘をしたいと思います。
 あと、ケースワーカーへのエールもいただきまして、本当にありがとうございました。以上でございます。
○議長(土居恒夫) 中山議員。
○13番(中山研心) 人権問題に序列や優劣などないと思っているので、同和問題を特別扱いしてくれとも優先してくれとも言いません。それより、同和の文字に過剰反応する人に聞きたかったことがあります。これまでに部落の人に嫌なことをされたことがありますか。もしあったとして、それは個人の資質によるものですか。あるいは被差別マイノリティーをルーツに持って生まれてきたという原罪そのものに起因していますか。出自を隠して、丑松のようにおどおどとおびえて生きていけばいいものを、開き直るその態度が気に入りませんか。それとも、運動団体は嫌いだからですか。運動団体に対する批判はあっていいと思います。運動団体への批判を差別のように言う人がいますが、それは違うと思います。運動団体への批判は、あってしかるべきです。我々も他党への批判はします。しかし、それは運動方針や理念、戦術に対してのものであって、個々の党員の暮らしぶりへの攻撃であったり、党新派の人たちの評判をおとしめる誹謗であってはなりません。そこが開かれた相互批判とヘイトとの違いです。桜井誠が朝鮮総連の批判をするのは、その内容が正しいかどうかは別として政治的主張ですが、在日朝鮮人は恵まれていると口にした途端に、それは差別に変わります。
 残念なことですが、随分と前に、ある県の被差別部落出身者が差別落書きの犯人だったことがあります。しかし、いつからこの人が幹部になりましたか。差別がなくなったら解放運動の存在意義がなくなるから、差別事件をでっち上げるために自作自演で落書きをしたと誰が言ったのですか。作為的なミスリードと悪意のある想像でしかないじゃないですか。
 平成12年、県によるモード・アバンセへの高度貸金貸付け、いわゆる闇融資問題が発覚し、解放同盟高知県連の組織的信用は地に落ち、運動に対する信頼も大きく損なわれました。当時の執行部、幹部は総辞職し、誰も解放同盟県連の役員など引き受けてくれないときに、今は亡き中尾利雄さんや森田益子さんが役員を引き受けてくれて、文字どおりゼロから、いえマイナスから、それこそ血を吐き、砂をかむような思いで組織の建て直しを図ってきました。同和利権の復活など、私たちこそ望んでいません。答弁は要りません。これで私の質問を終わります。