西野々遺跡の発掘調査
西野々遺跡は、東西800m、南北200mの丘陵裾野の範囲に広がる、弥生時代から近世までの複合遺跡です。
これまで、高知南国道路建設に伴う調査や、南国市立香長中学校校舎改築に伴う調査など、数次にわたり発掘調査がされています。調査の結果、弥生時代中期から後期の竪穴住居や古代・中世の掘立柱建物、溝など数多くの遺構が確認されました。
南国市立香長中学校の武道館の建設地(南国市大そね乙2038)が西野々遺跡の範囲内にあるため、遺跡の内容を記録するとともに、地域の歴史復元に役立てるために、平成23年4月18日から6月末まで発掘調査を行いました。
※発掘調査はすでに終了し、武道館が建設されています。
発掘調査の結果は次のとおりです。
県内最大規模(復元値)の竪穴住居を確認
調査区東南端で、円形の特大型の竪穴住居を発見しました。調査区内には、全体の3分の1ほどしか入っていませんが、柱配置と平面形から復元すると、直径11.5mになります。面積にすると、103m2で約63畳分もの広さに相当します。これは、高知県内で、これまで調査された竪穴住居の中では、最大規模の遺跡です。
壁際には、ベッド状遺構と呼ばれる床の一部を少し高くした施設を地山を削りだして作っています。
この住居が廃絶された後には、20cm程の河原石が多量に投げ込まれており、石の上面では、完形の土器が押し潰された形でいくつも出土しました。住居を離れる際に、お供え物などを入れていたと思われます。
13棟の竪穴住居を確認
今回の発掘調査では、13棟の竪穴住居が確認できました。いずれの住居も、一緒に出土した土器から弥生時代の後期の終末頃のものと考えられます。南側で見つかっている住居は、少しずつ場所を変えながら何度か建て替えを行なっています。ほとんどの住居の平面形は、隅丸方形で、一辺が2mから5m程と様々な大きさのものがあります。
この時期の竪穴住居は、大型のものが見られるとともに、小型のものも多く検出される傾向があり、住居の大きさが多様化しています。
河内平野から運ばれてきた土器が出土
竪穴住居の中から庄内式土器と呼ばれる、河内平野から持ち込まれた土器が出土しました。県内では、庄内式土器は高知平野を中心に約20遺跡で出土しており、畿内との関係性を物語っています。
今回の発掘調査では、主に弥生時代の終末期の遺構・遺物を多数発見しました。
弥生時代の初期から後期には、香長平野で田村遺跡群に多くの住居が建てられ、後期初めには最盛期を誇っていました。しかし、弥生時代の終わり頃には、田村遺跡は衰退の一途を辿ります。今回見つかった西野々遺跡の住居群は、そうした時期の村の一つと考えられ、古墳時代に入る手前の高知県の社会情勢を窺い知るための貴重な資料といえます。
今後、当時の集落像を復元するための重要な資料として出土した資料を整理していきたいと思います。
西野々遺跡の現地説明会資料は、次のファイルをダウンロードしてご確認ください。
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