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南国市の史跡と文化財〜『南国市を歩く』より〜

担当 : 生涯学習課 / 掲載日 : 2009/04/01

※【 】内は指定の種類


1 石土神社
いしつちじんじゃ
十市阿戸。祭神は、いざなぎの命の子、磐土神。「続日本後記」に「官社にする」と記載。
2 禅師峰寺
ぜんしぶじ
四国八十八ヶ所第三十二番札所。真言宗豊山派。僧空海が開く。本尊は、空海作の十一面観音像。
3 遅倉出土の銅鉾
おそくらしゅつどのどうほこ
十市の遅倉遺跡から昭和49年1月に発見された。地中に埋納されており、祭祀に使われたものと考えられている。【考古(県)】
4 吉村春峰邸跡
よしむらしゅんぽうていあと
幕末、十市村庄屋として勤める。維新後上京、土佐の古書を整理し「土佐国群書類従」を編纂。
5 北代健助邸跡と墓所
きただいけんすけていあととぼしょ
十市人形谷。フランス水兵と衝突した堺事件により、1868(明治元)年2月23日自刃。行年36才。
6 亀蔵楊梅の原木
かめぞうやまもものげんぼく
幕末、十市の人形谷の島田亀蔵が原木を発見。回り1.5m、高さ10m、樹齢200年。【天然記念物(市)】
7 十市の牛踊り
とおちのうしおどり
「甘蔗締め歌」とも言われ、「よさこい節」とならぶ幕末土佐の民謡の双璧とされた。
8 琴平神社
ことひらじんじゃ
里改田の琴平山上。祭神は大物主神であったが、維新後崇徳天皇を合しした。
9 前浜砲台跡
まえはまほうだいあと
1853年黒船来航、藩は須崎・浦戸・種崎等に砲台を築いた。1854年ホイッスル砲数門備え付けた。【史跡(市)】
10 大湊跡
おおみなとあと
旧物部川の河口港。紀貫之が、934年12月28日浦戸を出て大湊につき11日間の滞在。
11 勤王志士島村衛吉の墓
きんのうしししまむらえきちのはか
下島出身。土佐勤王党に属する。吉田東洋暗殺の嫌疑で投獄され、獄中で拷問を受け死亡した。【史跡(市)】
12 千屋城跡と野見嶺南遺跡
ちやじょうせきとのみれいなんいせき
前浜の下田村。方200mの平城で外・内濠をめぐらせていた。野見嶺南は南学の学者。【史跡(市)】
13 掩体(前浜掩体群)
えんたい(まえはまえんたいぐん)
戦争中、学徒動員によって三島村の久枝山(命山・宝山)をつぶし滑走路にした際の戦闘機の格納庫。【史跡(市)】
14 エンコウ祭り
えんこうまつり
「エンコウ」とは河童。初夏に後川筋の前浜、久枝地区などで子どもたちが主役の水難よけの祭りが行われる。
15 蚊居田城跡
かいだじょうせき
三和小学校の南方300m。城主中沢重清は、田村城主細川氏につかえ、二千貫の領地を治める。
16 絵金一派の土佐の芝居絵
えきんいっぱのとさのしばいえ
片山公民館。絵金(1812〜1876)は江戸で修行した後、家老桐間家の御絵師になった。会画(市)
17 西村左平次邸跡
にしむらさへいじていあと
西立石。堺警備にあった八番歩平隊長。堺事件で六番隊長の箕浦猪之吉に次いで自刃。
18 下田の石灰石
しもだのせっかいせき
阿波の人、徳右衛門が遍路途中下田で行き倒れ土地の人に世話になったお礼に石灰の焼き方を教えたという。
19 河泊神社
かはくじんじゃ
稲生の下田川の河童の霊を守る神社。旧暦、毎年6月15日に河童祭りが行われている。
20 田村遺跡群
たむらいせきぐん
南四国最大の弥生時代遺跡。銅鉾・石器・土器・住居跡・水田跡等、多数発掘。
21 田村城跡
たむらじょうせき
土佐守護代細川氏4代の城館跡。田村土居を中心に5haの広大な地に築かれていた。史跡(市)
22 細勝寺
さいしょうじ
細川氏の菩提寺として田村土居の南西部に建立された。高知龍馬空港の拡張に伴い、田村字天王に移転した。
23 銅鉾(伊都多神社)
どうほこ(いつたじんじゃ)
明治32年に田村カリヤで畑作中に発見され、伊都多神社に奉納されたもの。【考古(市)】
24 立田の経塚
たてだのきょうづか
立田の土居城が長宗我部氏に滅ぼされたとき、戦没者を埋葬し、経文を埋葬したところといわれている。
25 立田天神
たてだてんじん
菅原高視の乳母がこの地でなくなり、道真と乳母の霊を祭ったといわれる。
26 嶺南社跡
れいなんしゃあと
立志社に対抗して旧土佐勤王党の池知退蔵ら有志が1878年立田村永田に組織した。香長学舎を設立。
27 送り番所跡
おくりばんしょあと
立田東町の東入口。藩政期の甲浦から宿毛に至る大街道筋に置かれ、香美郡では立田と岸本と2ヶ所であった。
28 宮地彦三郎の墓
みやじひこさぶろうのはか
海援隊、新海援隊の隊士として活躍し、晩年は郷土の教育者として小学校に勤務した。大正5年没。
29 岩村遺跡
いわむらいせき
平成7〜10年度に発掘調査が行われ、弥生前期の貯蔵穴、弥生後期の竪穴住居跡、古墳時代初頭の竪穴住居跡等が確認された。
30 岩村土居城跡
いわむらどいじょうせき
岩村福船にある。発掘により2重の堀が検出。付近の津野神社は元親の三男親忠、幽閉地。親忠の墓あり。
31 野田城跡
のだじょうせき
野田氏は、長宗我部氏にしたがい幡多平定に功をたて、野田から宿毛へと移った。
32 吉川類次翁頌徳之碑
よしかわるいじおうしょうとくのひ
稲生衣笠出身。衣笠早稲をつくった篤農家として有名である。
33 後免町の由来
ごめんちょうのゆらい
野中兼山は、ここを諸役・諸税御免の町としたところから御免町ができ、承応元(1652)年に後免町と改められた。
34 後免のオガタマの木
ごめんのおがたまのき
舟入川の南岸、後免町の中ほどにある。高さ14m、回り2m、推定樹齢300年の大木。【天然記念物(市)】
35 野中廃寺跡
のなかはいじあと
野中地区の仁王に平安前期の寺跡がある。寺院は約120m四方の広さをもっていたと想像される。
36 柏水
かしわみず
源義朝の子、頼朝の弟である希義が介良から逃げる途中、篠原で柏の葉で水を飲んだという泉。
37 皿屋敷
さらやしき
篠原電停の西南に春喜さまとよばれる祠がある。渋谷家の皿にまつわる悲劇。
38 お産土坊主の墓
おさんどぼうずのはか
吾丘山東の山崎部落に処刑場の土壇場があった。そこで玄徳という茶坊主が処刑されたという。
39 武市安哉邸跡
たけちやすやていあと
住吉野。自由民権運動家、政治家、宗教家として活躍。後に北海道開拓の事業に従事した。
40 花之丞の墓
はなのじょうのはか
江戸時代中期、住吉野に花の好きな花之丞という男がいた。墓は船岡山の東側にある。
41 明見彦山古墳群
みょうけんひこやまこふんぐん
明見彦山の山麓にある3基の古墳。2号墳は消滅。1号墳は土佐の三大巨石古墳とされる。3号墳は小型であるが石室は残る。【史跡(市)】
42 土佐のオナガドリ
とさのおながどり
江戸時代後期、篠原の武市利右衛門がオナガドリを作ったといわれる。住吉通り電停北側に頌徳碑あり。【特別天然記念物(国)】
43 細川半蔵頼直邸跡
ほそかわはんぞうよりなおていあと
江戸で天文・暦学を学び1794(寛政6)年改暦に努力した。通称「からくり半蔵」。著書に「写天儀記」「機功図彙」等あり。
44 池知退蔵の墓
いけちたいぞうのはか
土佐勤王党で活躍。維新後、嶺南社香長学舎を開設。墓は、南三畠にある。
45 猿田彦神社の陣貝と刀
さるたひこじんじゃのじんがいとかたな
陣貝は池知退蔵重利が戊辰の役で会津城を攻め落としたときの押収品を寄進したものといわれる。刀は備州住助貞(真)の銘を持つ。【工芸(市)】 
46 遍路道標(みちしるべ)
へんろどうひょう
下末松に残る四国八十八ヶ所の道標。付近の地名は「遍路石」。表に「従是右国分寺遍路道、施主高知」、裏に「元文三年」と刻まれる。【史跡(市)】
47 八坂神社の三番叟
やさかじんじゃのさんばそう
秋の例祭で小学生男児一名が狩衣烏帽子を着用し、鈴を打ち鳴らしながら踊る。江戸時代から約300年間続くといわれる。【無形民俗文化財(市)】
48 土佐国衙跡
とさこくがあと
この地に国衙に関係がある国庁・府中・内裏などのホノギが残り、県指定史跡になっている。史跡(県)
49 紀貫之邸跡
きのつらゆきていあと
国府域の内裏という字名から紀貫之邸跡として公園になっている。国学者尾池春水記念碑や俳人高浜虚子の句碑等がある。
50 国分寺
こくぶんじ
行基が開山、空海が中興。29番札所。寺の東南の土塁は、創建当時のまま残っており、国の指定史跡。金堂は長宗我部国親・元親の再建で、国の重要文化財。
51 比江廃寺跡
ひえはいじあと
白鳳時代の古瓦が出土する廃寺で、県内では最古の寺院跡である。塔礎石の周囲は、国の指定史跡になっている。史跡(国)
52 比江山史跡
ひえやましせき
比江山は、元親の従弟である長宗我部親興居城の地である。永源寺には、乾家一族の大きな墓がある。史跡(市)
53 オサバイ杉
おさばいすぎ
オサバイさまは農家の神。廿枝に樹齢200年、高さ15mの杉がある。この木は田の水口に祭った杉。【天然記念物(市)】
54 阿波塚
あわづか
長宗我部7代兼光の時、阿波軍と戦い、阿波兵の死骸を埋葬した塚。
55 岡豊城跡
おこうじょうせき
19代兼序の時、落城。20代国親の時、再興。21代元親は1575年土佐平定。1585年四国平定。【史跡(国)】
56 伝・香川五郎次郎親和の墓
でん・かがわごろうじろうちかかずのはか
長宗我部元親の次男親和の墓は長宗我部氏一族の墓から東方約50mほどのところに一人寂しく眠っている。【史跡(市)】
57 伝・長曽我部氏一族の墓
でん・ちょうそかべしいちぞくのはか
長宗我部氏20余代の墓は、岡豊山の北谷にある。1番上段の立派な宝篋印塔は、長男信親の墓だという。史跡(市)
58 岡豊八幡宮
おこうはちまんぐう
大和の国三輪社から祭神を迎える。長宗我部氏ゆかりの宝物があったが、大正年間大火にあい焼失。
59 上野守久國銘の刀
こうずけのかみひさくにめいのかたな
久國は土佐幡多の出身で京都二代近江守久道の門人。源久國、木村上野守久國などの銘を残す土佐新刀の刀鍛冶として有名。【工芸(県)】
60 吉田城跡
よしだじょうせき
吉田氏は、長岡郡14ヶ村を領して江村郷吉田に城を構え、長宗我部氏の再興に功あり、吉田東洋の先祖。
61 谷秦山先塋の地
たにじんざんせんえいのち
谷家は、大国主命の子孫といわれ、代々岡豊八幡宮の神職であった。墓石は川石などの自然石を使用。【史跡(市)】
62 小蓮古墳
こはすこふん
二段になった楕円形の円墳。明治時代から開口していたので副葬品は盗掘されている。県内最大規模の古墳。史跡(県)
63 舟岩古墳群
ふないわこふんぐん
大平山の山頂に近い舟岩には20余の古墳があったがパイロット事業として開墾され現在はない。
64 狭間遺跡と狭間古墳
はざまいせきとはざまこふん
4世紀から5世紀頃の円墳とその下層で見つかった弥生中期末の竪穴住居跡。
65 小野の聖人平井善之丞
おののせいじんひらいぜんのじょう
「おこぜ組」の疑獄で岡豊の小野で閑居。武市半平太が土佐勤王党を結成するときに協力する。
66 奥谷南遺跡
おくたにみなみいせき
岩陰や周辺から旧石器時代・縄文草創期〜後期の数多くの遺物が出土した。現在は自動車道の法面部に岩陰の岩が一部見えるのみ。
67 長畝古墳群
ながうねこふんぐん
2号墳は4世紀末と考えられ、県中央部では最古。3号墳は県下最大の横穴式石室墳。高知自動車道建築にともなう発掘調査後消滅。
68 毘沙門の滝
びしゃもんのたき
滝本にあり、高さ30m、3段にわかれて落ちている。近くに毘沙門堂がある。【名勝(市)】
69 白猪田遺跡
しろいだいせき
久礼田小学校南東500mにある。8世紀代の掘立柱建物、甕を埋納した地鎮祭祀、輸入陶磁器類の出土から国府集落と考えられている。
70 内田菊次の碑
うちだきくじのひ
久礼田小学校初代校長として勤務し地元からは慈父と仰がれた。坂本龍馬の三従弟にあたり、才谷屋所有の海路図を教材とした。
71 久礼田城跡
くれだじょうせき
久礼田氏歴代の居城。元親は、一条内政の子政親を久礼田七百石、天行寺百石を給する。
72 坂本龍馬先塋の地
さかもとりょうませんえいのち
坂本家の先祖は、明智光秀の末裔といわれる。才谷に坂本家初代の太郎五郎の墓がある。
73 異色の坂本兄弟
いしょくのさかもときょうだい
兄の素魯哉は実業家として、弟の志魯雄は政治家として共に名をなし功績を残す。宍崎の坂本公園に両氏を称える記念碑が建つ。
74 中岡慎太郎先祖居住の地
なかおかしんたろうせんぞきょじゅうのち
慎太郎の先祖は上倉の庄屋であった。慎太郎の父小伝次の時、北川村の庄屋になって柏木に移る。
75 参勤交代北山道
さんきんこうたいきたやまどう
藩政期の参勤交代道が部分的に残る。藩主が止宿した比江の高村家、領石送番所、藩主休憩所の大塚御殿などを通り本山へと向かう。
76 ハンド岩
はんどいわ
瓶岩川に逆さに伏せた酒瓶に似た岩があり、村人はハンド岩という。
77 奈路の堀割
なろのほりわり
桐間氏は農業用水を確保するために川村親子に命じて中谷川の水を引く堀割りを計画。1849年、奈路に流すことに成功した。【史跡(市)】
78 黒滝の大杉
くろたきのおおすぎ
黒滝地区の新田神社境内にある杉で樹高約35m、目通り周囲約8m、樹齢は500年と推定される。【天然記念物(市)】
79 桑の川の鳥居杉
くわのかわのとりいすぎ
桑の川の地主神社に2本の大木があり、その枝が横にのび連結してH状になり、鳥居の形をしている。【天然記念物(県)】
80 瀬戸の滝
せとのたき
地主神社から約2km上流。水量が豊かで特に紅葉の時期は格別。雨乞い祈願の言い伝えがある。
81 白木谷のタチバナ
しらきだにのたちばな
県指定になっている白木谷のタチバナは、樹齢200年こしたものもあり冬になれば鈴なりの実がなる。天然記念物 (県)

『南国の歴史を歩く−高知県南国市史跡めぐり−』(平成17.3.1 南国市教育委員会)から抜粋


※問い合わせ先
南国市教育委員会事務局 生涯学習課 電話088-880-6569


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