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若宮ノ東遺跡の古代役所跡

担当 : 生涯学習課 / 掲載日 : 2024/12/16

若宮ノ東遺跡は弥生時代から江戸時代にわたる大規模な複合遺跡ですが、中でも7世紀後半の役所跡が発見されたことが大きな成果として挙げられます。



若宮ノ東遺跡とその周辺


発掘調査の結果は次のとおりです。


役所の施設


遺構配置図

 若宮ノ東遺跡では、東西方向の建物である正殿と、正殿の脇に南北方向の建物である脇殿、南面に門とそれにつながる柵列、柵列の外を巡る溝などが見つかりました。溝から出土した土器から、7世紀後半の施設と考えられます。正殿は古代の建物としては県内でも最大級の規模です。建物の柱と柱の間隔は3m近くあり、柱筋もきれいに揃っており、高い測量技術で建築されていることが分かります。



神聖な広場空間


脇殿現場俯瞰写真

正殿、脇殿、門の建物に囲まれた中は神聖な儀式を執り行うための広場空間として利用されたと考えられます。そのためか柵列内側の調査区からはこの時期の土器はほとんど見つかっておらず、土器が使われていたとしてもきれいに掃除して保たれていたことによると思われます。



まとめ


調査地全景

これらの成果から、この施設は7世紀後半に機能した役所と言えます。この時期の役所として、郡の前身である「評」(ひょう)の役所である「評衙」(ひょうが)だと考えられます。
 若宮ノ東遺跡の評衙は、土佐で最初に設置された役所でもあります。評衙が置かれた7世紀後半は、大化の改新を経て中央集権的な国造りが進められた時代であり、土佐国を治めるにあたって、この施設がどのような役割を果たしたのか、注目されます。
 若宮ノ東遺跡の北東500mの位置には、野中廃寺という古代寺院があり、若宮ノ東遺跡と密接な関係があったと推測されます。






柱穴を半分掘っている様子


若宮ノ東遺跡の現地説明会資料は、次のファイルをダウンロードしてご確認ください。
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