野中廃寺の発掘調査
これまで謎の古代寺院とされてきた野中廃寺は、近年の発掘調査によって、7世紀後半(白鳳時代)に創建され、法起寺式に似た伽藍配置の古代寺院であることが判明しました。
発掘調査の結果は次のとおりです。
基壇配置の全容が明らかになり、県内で初めて伽藍配置が判明
寺院を形成する主要な建物のことを伽藍といい、古代寺院において基壇(建物を支える盛土)は伽藍の建物配置を知るために重要な遺構となります。
発掘調査により、基壇の規模や特徴からその全容が明らかとなり、野中廃寺は法起寺式に似た伽藍配置だと判明しました。
伽藍配置が明らかになったのは県内では初めての事で、土佐の古代史を探る上で重要な遺跡であると言えるでしょう。
大型の掘立柱建物跡を確認
講堂の東側から新たに南北に細長い大型掘立柱建物跡を確認しました。
この建物跡は基壇と同じ方位で建てられており、建物内部には間仕切りがありました。また、硯に転用された須恵器の蓋が出土したことから、僧侶などの文字を書くことができる人物がいた施設であることが考えられます。このことから、僧が生活をする施設である僧房の可能性が高いと思われます。
さらに、講堂の北からも同じような建物跡が見つかり、僧房は東から北へ位置を移して建て替えられたことが想定されます。
出土遺物から、寺院の存続時期や使用されていた瓦が判明
軒瓦や多くの土器などが出土したことにより、存続していた時代や当時の営みの様子が分かってきました。土器の年代から、この寺院は7世紀後半の白鳳時代に創建され、奈良時代に栄華を極め、平安時代の10世紀頃に使われなくなったと考えられます。
出土遺物の中には「二彩陶器」「鉄鉢型須恵器」などがあります。二彩陶器はこれまで県内で出土が確認された遺跡が2ヶ所しかないとても珍しいもので、今回出土したものは大型の壺や瓶ではないかと思われます。講堂の近くから細片が2点出土したことから、講堂内に安置されていたものかも知れません。
鉄鉢型須恵器は、僧侶が修行や食事などに用いる鉄製の鉢を模してつくられた須恵器で主に寺院関係の遺跡から出土します。
また、出土した軒平瓦の文様は県内だけでなく県外の古代寺院を見ても類例が見つかっていないもので、さらなる研究成果が期待されます。
野中廃寺の現地説明会資料および広報特集記事は、次のファイルをダウンロードしてご確認ください。
※ファイル容量が大きいものがあります。ご注意ください。
PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe社が提供するAdobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先からダウンロードしてください。(無料)