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検索結果 »  平成28年 第393回市議会定例会(開催日:2016/12/02) »

一般質問1日目(西川潔)

質問者:西川潔

答弁者:市長、関係課長


○議長(西岡照夫君) 6番西川潔君。
      〔6番 西川 潔君登壇〕
○6番(西川 潔君) このたびの12月議会での私の質問は、市街化調整区域内での開発許可と統廃合校の資料の保存についての2点を質問をいたします。よろしくお願いをいたします。
 昨年実施されました国勢調査によりますと、日本の人口が初めて減少傾向にいったと報じられておりました。高知県では、国の動向を先取りをしたような形で、早々と全市町村で減少し、72万ほどになりました。南国市でも、一時は5万人を超えたこともありましたが、現在は4万8,053人と、時を追うごとに減少をしております。10年ほど前より、戦後のベビーブームに生まれた人たちが死亡年齢に達し、年を追って大量に亡くなって人口が減少をしております。人口の増減は、出生数と死亡数の数の差でございますので、当然少子化の進行や子育ての環境も関係はしておりますが、子供たちも確かに減少しているが、高齢者が次々と亡くなっていく影響が人口減少の一番の原因ではないでしょうか。
 南国市の人口減少も、この出生者数と死亡者数の差でありまして、一旦減少を始めた出生数は少なくとも二十数年後でなければ回復はない。私が市役所での勤務を始めた当時は産児制限といいますか、避妊具の配布など産児制限を行政が行っておりました。あれから48年になるわけでございますけれども、出生率減少のサイクルの中にちょうど現在が位置しているのではないかとも思います。今となっては、えらい先見性のないことをしたものだと後悔の念にたえません。
 後悔と言いますと、南国市政もその時代時代に市民が安全に平和な暮らしができるよう、また将来に向かって一番大切なことは何か、取り組んできたと思われますが、後悔先に立たずとの格言のとおり、今となってはと思うこともたくさんございます。私が市役所に入所したころは高度成長期の真っただ中でして、やがてオイルショック、厳しい財政状況に陥り、このままでは財政再建団体へ転落とのことで、職員組合みずからが給与の削減を申し出、数年間実行したことでした。このように、当時の市の一番の課題は何よりも財政の立て直しであることから、その後の市政も緊縮財政の連続、今になってそのツケが出てきた部分もあるようにも感じております。
 南国市の土地利用計画についても、歴代の市長もじくじたる思いもあったように、圃場整備も含めて課題を残してきたのではと思います。昭和45年に施行されました都市計画法も、一定の乱開発の防止、抑制にはつながったとは思いますが、基本的に市街化調整区域での建物には同法に基づく開発許可が必要なために、市の発展の足かせになっていることも事実であります。
 そのような中で、このたび市長は国が進める地方権限移譲により、県が許可をしておりました開発許可を平成30年より南国市自身で行うよう英断をされました。また、高知大学医学部周辺で先行されて実施するようにもしております。これらの取り組みについては、6月議会でも質問しましたように、南国市の発展には一定の人口や働く場をつくることが一番で、現在、市が取り組んでおります地方創生への一番の施策でもあります。南国市は、高知県の中ではその潜在力が極めて高く、今回この取り組みはそれを切り開く大きな施策だと高く評価をするものです。現実を見てみますと、南国市に家を建てて住みたい人や南国市に進出したい企業の要望に応え切れていませんでした。その道が開かれるのです。南国市独自の開発許可が可能となるわけですが、いの町、高知市、南国市、香美市の広域都市計画の中、全て市の判断で許認可ができるわけではないと思います。
 そこでお伺いしますが、南国市独自の規制緩和の策定、開発許可でございますが、どのような手順でどのような内容を考えておられるのか。従来の許可基準との相違点は何なのか。規制緩和を行う地域、土地の選定はどのように行うのか。どのような開発行為が可能となるのか。最後にこのたびの市への開発許可権限移譲について、今後の市長の思いをお聞かせください。
 2点目の統廃合校の資料保存についてでございますが、戦前はともかくとしまして、戦後、旧村時代も含めて、南国市内で統廃合された公立小中学校を、恐らくここにおいでる南国市に生まれ育った皆様方でも完全に記憶されている方はいないのではと思います。私が知っている範囲でも、久枝といいますか、下島にありました南部小学校、それから瓶岩小学校、黒滝小学校、井の沢小中学校、これ井の沢って第3小中学校とも言われるようですけども。また北陵中学校創立時の黒滝・白木谷・久礼田・岡豊中学校の統合、市の南部の香長中学校も創立時にはたくさんの中学校が統合されたというふうにも聞いております。これらの学校統廃合に至るまでの変遷や校歌、校章、学籍簿等の保存について、何かそういうものが決められたようなものがあるのか。またどこでどのようにされているのか、現在の状況も含めてお伺いをいたします。
 以上で1問目を終わります。
○議長(西岡照夫君) 答弁を求めます。市長。
      〔市長 橋詰壽人君登壇〕
○市長(橋詰壽人君) 西川議員さんの質問にお答えをいたしたいと思います。
 私はこれまで何度か申し上げてまいったわけでございますが、市街化区域と市街化調整区域の線引き、これは南国市の秩序ある土地利用につながったと、線引きがつながったこと、線引きが全く間違いであったとは決して思っておるわけではございません。しかしながら、本市の都市計画区域の92%を市街化調整区域が占めておりまして、南国市に進出したいけれども進出ができない、都市計画法が何とかならないか、などといった声も現在までたくさん聞いてまいりました。市街化調整区域につきましては、市長として何度かじくじたる思いをしたことも実際ございました。そのようなことから、私は本市の実情に応じた、まちづくりの方針に沿った土地利用ができますよう、高知県より開発許可権限の移譲を受けることをこのたび決断したわけでございます。現在、平成30年度をめどに、南国市に権限移譲すべく準備を進めておるところでございまして、大いに職員の皆さんにもこの機会に勉強してもらって、幅を持っていただきたい、このようにも期待しておるところでございます。
 南国市がみずから開発許可の許可権者になるわけでございますので、市がまちづくりにこれまで以上に責任を持っていかなければならない、大変責任が重いわけでございます。そして、規制を見直す区域と優良農地としてこれから将来に向けて守っていく区域と、しっかりめり張りをつけて産業振興も発展させるとともに、防災対策や集落の維持といった課題にも対応していきたい。高齢者や子育て世帯なども誰もが安心して住み続けていける希望のあるまちづくりを目指して、南国市全体の有効な土地利用を進めてまいりたい、このように考えております。詳細につきましては、都市整備課長が御答弁申し上げます。
○議長(西岡照夫君) 都市整備課長。
      〔都市整備課長 若枝 実君登壇〕
○都市整備課長(若枝 実君) 西川議員さんの市街化調整区域内での開発許可についての御質問にお答えいたします。
 南国市独自の規制緩和の作成手順と内容につきましては、まずどのような方々を対象とし、そしてどのエリアにどんな建築物が建築できるようにするかなど、基本的な許可基準を示すことになります開発許可制度基本方針案を、本年度中をめどに作成したいというふうに考えております。その後、庁内の関係各課との協議、市議会議員の皆様へ御報告した後、平成29年7月ごろにパブリックコメント及び住民説明会を実施してまいりたいと、そして住民の皆様から幅広い意見を聴取してまいりたいというふうに考えております。そして、修正を加える必要があれば修正を加え、この開発許可制度基本方針案を反映させた南国市都市計画施行条例案を作成をいたします。この条例案を市議会議員の皆様に御報告申し上げた後、南国市の都市計画審議会でも報告し、さらに平成29年9月開催予定の高知県開発審査会に南国市都市計画条例案を御提案し、御審議いただきたいというふうに考えております。そして、開発審査会の承諾を得た後、平成29年の12月議会へこの条例案を御提案させていただき、御審議いただきたいというふうに考えておりまして、平成30年4月からの施行を目指しております。
 南国市独自の開発許可要件の内容につきましては、現在、担当課で検討中でございますが、本市の都市計画マスタープランにおいて、かねてより研究学園都市構想を掲げている高知大学医学部周辺や集落の維持、地域の活性化という観点から、市街化調整区域にある周辺部の集落などに一定エリアを設定し、高知大学医学部周辺につきましては高知大学医学部職員の自己用住宅や高知大学医学部職員及び学生用の共同住宅、そして宿泊施設や飲食店などの立地を、また周辺部の集落につきましては、自己用住宅などをこれまで以上に建築しやすくする許可要件を作成したいと考えております。
 従来の許可基準との相違点につきましては、現在、市街化調整区域の開発の許可要件は都市計画法や県条例で定めたケースのほか、高知県開発審査会の議決を経て知事が許可したものとなっておりますが、現在の許可要件に南国市独自の許可要件をプラスする形になりますので、南国市がプラスすることになる独自の許可要件が、従来の許可基準との相違点ということになります。
 規制緩和を行う区域の選定につきましては、これにつきましても現在担当課で検討中でございますが、先ほど申し述べさせていただきました市の都市計画マスタープランにおいて、かねてより研究学園都市構想を掲げている高知大学医学部周辺や集落の維持、地域の活性化という観点から、市街化調整区域にある周辺部の集落などに一定エリアを設定する方向で検討しております。
 最後に、どのような開発行為が可能かということにつきましては、具体的にはなかなか申し上げられませんが、これも先ほど述べさせていただいたことと重複しますが、従来の都市計画法や県条例で定めたケース、そして高知県開発審査会の議決を経て知事が許可した開発のほか、市が設定する一定エリア内において、市が設定する独自の許可要件に合致した建築物の建築について開発が可能になります。
 以上でございます。
○議長(西岡照夫君) 教育次長。
      〔教育次長兼学校教育課長 竹内信人君登壇〕
○教育次長兼学校教育課長(竹内信人君) 西川議員さんの御質問にお答えをいたします。
 現在、市内の小中学校における公文書の保存期間につきましては、平成16年9月1日より南国市立小中学校文書取扱要領で定められておりまして、学校沿革史、簿冊保存目録、履歴書、旧職員履歴書、宣誓書・着任届は永久保存となっております。また、統廃合の際の資料等の保存につきましては原則統合校となっており、今後、このような統廃合等行われる際には、公文書とともに廃校になる学校の存在のあかしとなるものも適切に保存できるようにしてまいります。
 ちなみに、西川議員さん言われておりました井の沢小学校のことですが、その井の沢小学校の変遷につきましては大変複雑で、また資料が大変少なく、残された資料によっても若干不明なところもありますが、南国市史にて調べてみましたら、明治25年に井の沢小学校が設置されております。大正5年に井の沢へ移転したときに、上倉第三小学校と改称されております。昭和22年に上倉中学校井の沢分校を併設する形となりました。また、昭和30年に黒滝に移転し、上倉村立黒滝小中学校と改称しております。また、昭和31年町村合併により後免町立黒滝小中学校に、昭和34年に町村合併によりまして南国市立黒滝小中学校へと改称されていき、昭和42年に中学校を北陵中学校に統合し、昭和53年3月をもって児童の在籍がなくなり廃校となりました。
 以上、井の沢小学校の沿革をひもといてみますと、大正5年の井の沢へ移転し上倉第三小学校と改称されたことや、昭和に入ってからは戦争という厳しい社会情勢、さらにはその後、黒滝小中学校への改称並びに市町村合併という経緯を見ましても、現在、井の沢小学校の統廃合時の公文書が保存されておりません。しかし、南国市になってからの昭和38年に統合校となった久礼田小学校には、瓶岩小学校の卒業生名簿、卒業写真、瓶岩小学校史、瓶岩村史が保存されておりますし、その中でも卒業生徒名簿、瓶岩小学校史は永久保存として残っております。また、昭和41年に統合になった北陵中学校には、久礼田中学校、岡豊中学校、白木谷中学校の学籍簿、指導要録、卒業写真、中途退学生学籍簿が残されております。
 以上です。
○議長(西岡照夫君) 6番西川潔君。
○6番(西川 潔君) 教育委員会には、面倒なことを調べていただきましてありがとうございます、どうも。市長のほうからは、力強い思いを語っていただきまして、ありがとうございました。
 2問目の都市開発の件で、答弁があったかもわかりませんけども、もう一度確認のためにお伺いしますが。南国市の審査、開発許可の条例をつくる、条例にパスすれば、農地法等の制限は従前とは変わりはないが、県の開発審査は免除をされて、建物建築時には建築確認の許可要件のみで建築が可能になるというふうに理解をしていいのか。また現在、圃場整備が進められておりますけれども、このたびの開発許可権が市に移譲されるということに伴いまして、小規模の農地の所有者とか農業を継続されない方、持っている土地の方がいろいろな思惑が出てくることで、圃場整備の進捗に影響が出ないような十分な説明、圃場整備がされるところに開発許可をするような条例をつくるわけはございませんけれども、市民の方についてはかなり期待をするようなところも必ずあろうかと思いますので。また、圃場整備の中に土地を持ってられる方が、圃場整備をすることによって開発が今後できないということになりますので、その辺の思惑が必ず出てくると思いますので、その辺のことについての対策といいますか、どのようなことをされておるのかも含めて、お聞きをしたいというふうに思います。
 また、教育委員会のほうには、面倒なことを言いましたけれども、こちら調べていただきましたけれども。実は先月、11月8日に井の沢小中学校の昭和15年生まれの方が、存命の同級生17名のうち10名ほどが市内のホテルに集まって同窓会をしたようでございます。この中には、柔道で大変貢献していただいた和田達盛さんもおられまして、きのうのこと、同じ笠ノ川でございますので魚を買いに行って話をしますと、大変校歌を歌って盛り上がったということで。初めにその校歌を探しておりまして、たまたま前教育委員会の次長をやられた野村道俊さんの奥さんがやっぱり向こうの卒業生でして、私、またお渡ししますけども、大変古い、天平のころからのこんな変遷を書いたものやら校歌を持っておりまして、皆これを渡したことでございましたが、いただいて。なかなか庄屋が岡本、中岡、佐竹と引き継がれて明治に至ったというようなことで。これ中岡というのは中岡慎太郎の子孫だと思うし、それから佐竹というのは現在黒滝で生活をされる佐竹さんと、これはもともと現在の梅星館が建っているところ、セミナーなんかをやられる、あそこに佐竹、跡が佐竹屋地というふうに地元の方は呼んでまして。あそこから往時の異動でしょうね、あそこに黒滝のほうに移られたということのようです。そのようなことから、かなり古いことの変遷を書いてございます。
 私は、実は言いたいのは、きちっと保存も一定されているということで安心をしたんですが、昭和何年ごろでしょう、黒滝小学校がまだせいらんができる手前の、まだ小学校があった時分に、現市長がそこに行かれて、潔よ、おまえのところのおやじの何か成績簿を見られたと、大抵恥ずかしい話ですけど、健康診断書が何かあったぞというようなことを言うたときに、そのときには余り思いませんでしたけども、今でいうと個人情報の最たるもので、そのようなことがないようにというようなことも含めて、ちょっとお聞きもしたかったわけですし。また私は学校が、学校というものは本当に地域と一緒にあるんだということを強く思ってまして、山間の奈路とか白木谷も、あのような小さな学校ですけども、学校を中心に地域があると。私も全ての南国市のことは知りませんけども、瓶岩小学校も私が小学校の6年ごろには久礼田の小学校へ統合したりしましたし、また旧地区では岩村なんかも小学校がないんですが、何かそういう地域はやはり、かなり寂しい思いをしているというようなことをいつも感じております。非常にそういうことが大事だし、それから久礼田中学校というのは私も最後の卒業でして、市長のほうも久礼田の中学校の卒業ですけども、恐らくこの中でも久礼田中学校2人だと思うんですが。そういう学校がどこにあったとか、どういうふうに人々がしよったとかいうようなことは、おじいさんやお父さんやお母さんや子供たちが共通の話題にもなるし、そういうことを話すことで地域への愛着とか、いろんないい情操のようなものも生まれてくると思うんです。そういうことを語れる教職員、ほかの地域のことも含めてですけれども、赴任をされた教職員の方は、やはりそういうことにいち早く目をつけていただくというか、昔こんなところに学校があって、こんな遠いところからこうやって来よっただとかいうのは、非常に子供たちにもその歴史というものがスムーズに入っていく、昔というのは将来に必ず通じることでございますので。ぜひ機会のあるときに教職員の方にもそんな話をしていただき、それから教職員の方も子供たちにそういう、恐らく地域のことを語る機会はあろうと思いますので、そのようなことをしっかり伝えていっていただきたい。そのことがいい子供をつくっていく、ふるさとを愛する子供をつくっていくということに必ず通じることだと、私はそう思っておりますので。
 それから校歌のほうについても、今でも、私も小学校の校歌も覚えておりますし、中学校の校歌もすぐに出てきます。びっくりしたのは、この校歌を探しているときに、たまたまよく市の交通安全なんかでお世話になる門田窈一さん、ちょうど私がここへ来たときに会いまして、3階でしたがちょうど会いまして、こうこうして探しゆうが窈一さん知らんかよとこう言うと、知っちゅう知っちゅうと言いますき。ほんなら、そらあ習おうか思うたら、どこにあるぜよ言うたら、わしの頭の中にあるってすぐに歌うてくれまして、その場で。本当に人生の序奏、本でいうと序章といいますか、私のように終章になってきますと、そういう幼少期というか、学校のことが本当に思い出され、そのことが非常に懐かしいことになろうと思いますので、そのようなものの保存についてもよろしくお願いをしたいというふうに思います。
 都市計画のほうに、先ほど言いました2点について御答弁をいただきたいと思います。
○議長(西岡照夫君) 市長。
○市長(橋詰壽人君) 今度の権限移譲について、幾つかの私はポイントがあるんではないかと思っております。それは、大きく言えばやはり各小学校区でいいます、小学校区も含めての意識的な集落の復活といいますか、空き家がたくさんあるわけでございまして、これをやっぱり埋めていくといいますか、こういうことを我々職員が意識的にそういうことをしていかないといけないんではないかと。そのことによって各小学校が非常に生徒数も減っておるところで、若い人を呼び込んで復活を図っていくと、こういうような意識を持ってやっていくべきではないかと、そのように思っておりますし。何といいましても、南国市は交通の要衝ということをみずから言っておるわけでございまして、そういう意味では、この縦軸の東道路、横軸の55号線、これを中心とした沿道をどういうように土地利用を図っていくのかというようなことも、これもまた意識的にやっていかなければならないんではないかと。
 そして、これはありきたりの考えかもわからんですが、農地はこれはもう圃場整備をこの際入れて、当然のことながら汎用化を図っていくと同時に、所有権の移転の問題はこれちょっと置いておいて、そうではなくて耕作という面からいうと、担い手に集積を図っていく。そして一方では農業の法人化を早くやっていく。この辺が一番南国市のおくれているところで、農機具の共同利用化、大型化はもちろんのこと、区画が大きくなりますので、こういう意味では大規模な農業機械によって効率化を図って農作業を効率化していく。そしてプラス近代的なハウス園芸、これで法人化も図って、民間の力、こういうものを導入していって、そこで多くの人が農業分野でも働いていく。こういうことも図っていかなければならないんではないかと、それが将来の我々が描く農業像ではないかと。非常に効率の悪い、5反、6反、あるいは1ヘクタールに満たない方が何百万円もの農機具をそれぞれが持ってやる、今までやってきた非常に効率の悪いものを、生産法人をつくってそこが農機具を持ってやっていくとかいうようなことをやっていくと。そういうものを描いて、私は今回思い切りこの最後のチャンスと捉えて、これに個人負担は極力軽減をしてやっていきたいなあと思っております。
 このことについては、またこの議会終了後にこの思いを議員の皆様にも私の考えも話して御理解を願って、できれば各地域においてそれぞれの議員さんがおいでになりますので、この圃場整備化にスピード感を持って、これをその中心にできれば議員さんもなっていただきたいなと、推進力になっていただきたいなと思っております。
○議長(西岡照夫君) 都市整備課長。
○都市整備課長(若枝 実君) 西川議員さんの2問目の質問にお答えをいたします。
 南国市が開発許可権限の移譲を受けまして条例を制定すれば、条例に明記されている許可要件についての開発許可申請があれば、高知県の開発審査会の議決を得ることなく、市が開発の許可の判断を決定をいたします。そして、開発許可がおりましたら、建築確認の許可で建築物を建築できるというふうになります。
 それと、あと圃場整備との関係ですけれども、現在本市が検討しております一定エリアっていうのは、当然圃場整備を予定しているところは区域に含まないというふうなことで現在慎重に検討しておりまして、ちゃんとした区域を設定をした後、住民説明会等で説明していきたいというふうに思っております。
 以上でございます。
○議長(西岡照夫君) 6番西川潔君。
○6番(西川 潔君) 質問ではないです。お願いになるかとは思いますが、先月の11月30日に、都市整備課長もおいでてくれまして、小蓮と定林寺の方に医大周辺の開発の説明会がありました。私も小蓮の役員から来てくれということで会に参加をしたわけですが、その折に出た意見の中で、なぜ学園の、高知大学の2キロ周辺に住居を建てる、住居とか飲食店とか下宿というかマンションのようなものも規制緩和の中へ入れるという話でしたが、そのときに医大の職員とか医者、先生とかいうような話が出たときに、その参加者の中から、医大へ来る人たちは何も先生とか職員だけではないんだと、特権階級だけを認めるようなことをするのかと。たくさんのその周辺には今度も血液センターも来るし、また新たな企業も来るようなこともあるんですけども。そのようなことを話が出たことで、これらのそういう医大に関係する方たちも一緒になったまちづくりが大切じゃないのかというふうなことが出されたわけですが、南国市の発展の礎になるわけですから、今度のこういう開発許可の条例を定めるときにでも、ぜひ県との交渉もあるし、なかなか障壁というか壁もあると思うんですが、そのようなことも市長も含めて考えていただきたいと。これは私本当のことだと思うんです、医大の職員と正職員と教授だけが家が建てれるというのは、何かそれだけで町が成り立っているわけではないわけでして、当然の意見だったというふうに私はそのとき受けとめたんですが。その辺もよろしくお願いしたいということと、それから来年12月の議会での条例制定っていうことになれば、実質的にもう一年を切っております。個人の土地を対象とするわけですので、非常にその土地の価値、このようなものも絡みまして、人の思惑が交わる世界になってまいります。大変な作業ございます。条例施行後も、施行前も、人員の配置も含めて十分な体制をとって事に当たっていただきたい。これは高知市では中核市として、この開発許可権限をもう県より移譲されてやっておりますが、そのときに高知市もこれにかかわる職員を倍ほどにふやして対応したっていう話を聞いております。そういう点からも、実は県に任していたときには意外と、県と南国市の住民というのは生活の中でそれなりの距離があるんです。ところが、市の職員がやるということになると、隣の職員が私が家を建てたいというて出いたのをだめだということになる。非常なそういうこのものが出てくる。今度異動したときにもほかの仕事への影響も出てくるというようなこともございますので、非常に厳格に、慎重に運ばなければならないことだと思いますので。以上の点をお願いをいたしまして、今議会の私の質問を終わらせていただきます。よろしくお願いいたします。
○議長(西岡照夫君) 市長。
○市長(橋詰壽人君) 大変大事なことでございますので、あえて御答弁申し上げておきたいと思います。
 西川議員言われた、特権階級と言われましたが、決してそういうことからの発想ではございません。それはそもそも、私が前にもお話ししたと思うんですが、脇口学長は南国市の乳児健診のときから実際にこちらへ来て、いろんな乳児健診のあり方等々について御意見もいただいて、非常に熱心に、南国市の地元の行政のことには積極的に、協力を惜しまないという方でございまして、乳児健診その他のことについて非常に御意見もいただいておりました。
 そこで、学長になると、橋詰君、これは高知県が言いゆうことと、どうも違うんじゃないかと。何が違うかというと、高知大学医学部を出た卒業した多くの方に高知へ残っていただきたいという強い希望を持っておって、高知大学医学部はそういう方向で今まであらゆる機会を捉えてやってきたわけですが、どうも残ってくれんと。これは何か原因があるんじゃないかということでいろいろ話をしてみると、あそこの生徒さんは、ほんの一握りの人は大学周辺の近いところへ下宿なり、アパートを借りて住んでおるけれども、大部分の人は一宮だったり、高知の市内だったり、大津だったり、後免にも何人かおるかもわかりませんが、そういうところから通っているわけです。ほとんど車で通っている。そういうことで6年間ですか、8年間ぐらい学んだことを、学ぶ過程において大学というものが近い存在にないといいますかね。例えば、あの周辺にたくさんの学生向けのアパートとかそういうものがあれば、いやが応でも近くだったら自転車で、あるいは飲食があれば学校が終わった後先生と、教授陣とちょっと一杯やりましょうというようなことでやる場所もできてくるし、そういう機会もある。そして、学問についてのいろんなことを語ったり、あるいは友人とそこで御飯を食べたりということ、そういうことの積み重ねが6年か8年かずっとある中で、やっぱり高知大学医学部の我々は生徒であるという感情がもっともっと強く生まれてくるんではないかと。そうしたことになると、一般的にも言われる学園都市的なものの中で育った生徒さんと、まるでサラリーマンのように、ずっと公共のあれはないですから、車で来てやってくるもんとは違うんじゃないかと、そういうことを学長非常に言われまして。私とたしか2人で話し合って、知事にこの辺のことを訴えようということが事の始まりでした。
 ですから、高知県が行っていることを私は批判する立場には全くないし、それはそんなことも思ったことはないんですが。お金を出して奨学金的なものを出したり、研究開発に県が投資といいますか、そういうことをしてそれで高知へ残ってくれと、それはちょっと違うんじゃないかというのが学長の強い意見でもあったわけでして。そうしたことで、この周辺、学園都市としての岡豊地域であったり小蓮地域に住んでもらって、そこに住むとやっぱりコミュニティーの中での一人の人間としての地域のつながりもできるということで、そういうつながりがないとどうも愛着というものは生まれないという発想で、このたび県に物を申して、あそこを学園の町にしようということなんです。
 もう一つ言えば、機能としてはそういう環境面でも配慮した学園都市的なものをつくる。それから、あそこは私もこれ実は経験があるんですが、これは学校とも私は話し合わないかんと思っておりますが、たくさんの患者の方がおいでます。それで、私がたまたま3カ月入院したんですが、そのときはなぜかしら、前にもこれはお話ししたかもわからんですが、非常に幡多弁が耳に入るんですわ。つまり、西のほうの幡多地方の人がうんと来るがです。あそこには宿毛病院も、中村にも市民病院があるはずなんで、県立病院もあるはずなんですが、なぜか医大へ来て大きな手術は全部、全部じゃないですけど来るんですよね。それで、そうなると長期に付き添うわけです。そういうときに非常に困るのは、安価な長期滞在型の、これも要るんですよ。こういうものも大学病院には付随して、ないといけない。私と一緒に手術した子供がおりましたが、その人は徳島でした。徳島の医大へ行ったら、高知大学医学部を勧められて来たという方がおいでましたが。そういう方も、もう私はこれは急がないかんと思うんですが、大学の中でも外でもいいんですが、周辺に長期滞在型の付き添いの方が安いあれで泊まれるところとかいるんですね、やっぱり。そういうようなこと、いろんなことでやっていかないといけない。
 そして、当然のことながら、あの医大の今、中島宿舎ですか、中島の山畠宿舎、あそこにはもう店なんか何にもないですよね。どうせあの方たちは一宮のスーパーかどっかへ行きゆう、後免へ来ゆうかもわかりませんが、そういう機能を備えたものを整備しながら、将来は学園都市としての機能というものをやっていくことが非常に大事なことではないだろうかと。そういうことでの今回の、南国市にとっては3度目となると思いますけれども、それぞれの市長さんがチャレンジして、3度目に何とか日の目を見たといいますか、の第一歩でございますので。地域の方にもそれは十分にわかっていただいて、そういうような意味で、大学があるとそれに関連する血液センターであり、薬屋さんであり、そういうものも当然のことながらそれへ張りついていくということでございますので。そういう意味でこれからまちづくりをしていきたい、このように思っておりますので、どうかひとつ御理解のほどをよろしくお願いしたいと思います。