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検索結果 »  平成26年 第376回市議会定例会(開催日:2014/02/28) »

一般質問 4日目(田中徹)

質問者:田中徹

答弁者:市長、関係課長


○議長(前田学浩君) 1番田中徹君。
      〔1番 田中 徹君登壇〕
○1番(田中 徹君) 間もなく3年、あの未曽有の被害をもたらした東日本大震災から3年が経過しようとしています。被災地では、今なお2,600名余りの方々が行方不明であり、26万人を超える方々が、避難、転居生活を余儀なくされています。長引く避難、転居生活の影響で、児童生徒の学力や体力に格差が生じ、介護認定者は2割増加し、震災後、整備された仮設商店街では、復興特需も徐々に薄れて、売り上げも低迷し、地域の人口減少にも歯どめがかからない状況です。また、被災自治体の中では、復旧、復興事業の先頭を走る姉妹都市岩沼市においてさえ、人手や資機材の不足から、この春完成目標であった玉浦西地区の災害公営住宅の建設工事におくれが生じています。
 以上、ほんの一部を紹介いたしましたが、復興へのまちづくりは、新たな課題にも直面し、依然厳しい道のりに変わりありません。我々にとりましては、はや3年という気もいたしますが、被災された方々にとって、この3年間は、非常に苦しく、長い年月であったことと察します。改めて一日も早い完全復興に向けた国の総合的施策のさらなる充実強化を願わざるを得ません。
 さて、本市でのこの3年間を振り返りますと、東日本大震災を教訓に、次期南海トラフ地震対策を主要施策に掲げ、ハード、ソフト両面において着実に取り組みを進めてまいりました。今年度には、14基の避難タワーも完成し、避難空間づくりも一定のめどが立ったように感じます。橋詰市長、西原危機管理課長を初め、関係各課の皆様の御努力に心から敬意を表します。もちろん今後においても、避難路の整備を初めとするハード整備や災害時要配慮者対策等の南海トラフ地震対策を進めていく必要がありますが、次年度以降については、地震対策と並行して、まちづくりについても重点的に審議する必要があると考えます。と申しますのも、総合計画の見直し時期が迫り、国営圃場整備事業や集団移転促進事業などを控え、まさに今、10年、20年先の本市のまちづくりの方向が決まろうとしています。また、市街地においては、都市計画道路南国駅前線の開通や後免町防災コミュニティーセンターの新築も予定されております。
 そこで、今回は、本市を取り巻く現状や国の動向を踏まえ、まちづくりの中でも中心市街地の活性化に特化して質問、提案いたします。
 現在、国において、中心市街地の活性化に関する法律の一部を改正する法律案、いわゆる中活法の改正案が審議され、今通常国会での成立が見込まれております。今回の法律案には、民間投資を喚起する新たな重点支援制度を創設することや、中心市街地の活性化を図る措置を拡充することが明記され、基本方針の改正や予算措置の拡充も見込まれ、平成18年の法改正に比べ、比較的人口規模の小さな自治体でも取り組みやすく、また実態に即した内容となっています。
 そこで提案ですが、早急に中活法の改正を視野に入れ、中心市街地活性化基本計画の作成に取り組むべきと考えますが、いかがでしょうか。
 これまで議会においても、再三にわたり図書館の整備充実や文化施設の新設について議論されていますが、この基本計画の推進によって、そういったハード整備はもちろんのこと、土地区画整理事業を初め、複合施設の新たな建設や公共交通の充実等々、無限の展望が期待でき、考えるだけでも夢が広がります。市民が夢を抱き、生き生き暮らすことができる、そんな魅力あるまちづくりになると確信をしております。認定されるまでには、さまざまなハードルを乗り越えなければなりませんが、さきにも述べましたように、総合計画を見直す時期でもあり、絶好の機会と捉え、どうか全庁挙げて取り組んでいただきたいと提案いたします。この夢広がる中心市街地活性化基本計画の作成について、市の所見をお伺いし、1問を終わります。
○議長(前田学浩君) 答弁を求めます。商工観光課長。
○商工観光課長(今久保康夫君) 田中議員さんの中心市街地活性化等についての御質問にお答えいたします。
 中心市街地活性化基本計画というものにつきまして、本市では旧法のもと、平成10年に南国市中心地等商業活性化基本構想として策定しまして、中心市街地の範囲は、後免町、駅前町、東町、朝日町として、その計画の内容は、再開発の核となる施設の建設を大きな柱として進めておりました。しかし、平成12年度には、この計画に基づく事業は中止、凍結され、その後計画も変更を余儀なくされ現在に至っております。その間、やなせロードの整備や軽トラ市、はがきでごめんなさいコンクールなど、どちらかというとソフト面での活動が主になされてきましたけれども、今、都市計画道路駅前高知線の延伸とか後免町防災コミュニティーセンターの建設なども進んでいます。商工観光課としましても、物部川流域アクションプランにおいて、後免の活性化をテーマとして位置づけて、現在はよってこ広場を核にして取り組んでおります。今回は、議員おっしゃられるとおり「人口が減少する中でも、住宅、医療、福祉等の機能を町中に誘導し、都市の活力の維持、向上を図る。全国の町、中心市街地は、危機に瀕している。今が地方のまちづくりの最後のチャンス」として、中心市街地の活性化に関する法律の一部を改正する法律、いわゆる中活法を改正することとしており、認定計画への重点的な支援を国は行うとしております。本市におきましても、南国市都市計画マスタープランでも、中心市街地においては、抜粋ですけれども、南国市の中心となる安心・安全で魅力的なまちづくりに取り組みますとして、方針としまして、中心市街地を再生して、町に人を呼び戻しますとしております。第3次総合計画におきましても、市街地の整備として、これも抜粋ですけれども、にぎわいのある人の集まる市街地環境の再生を目指しますとしております。そういったこともありまして、商工観光課のほうでも、平成18年の法改正のとき以降、この計画を内閣総理大臣に認定してくれることで、国の有利な施策の支援を受けられることから、計画作成も検討しました。しかし、これまでのこの計画の認定を受けた自治体を見ますと、高知市などの商店街の規模が大きいところが多くて、本市の旧市街地の範囲だけでは、1日の歩行通行量、商業者、また利用可能な土地も少ないということで、メリットが小さいということで、結局現状のある地域資源を活用してのにぎわいの創出をできないかと活動をしてまいりました。今、確かに本市の中心市街地の機能は、周辺へと拡大しています。そのため旧の中心市街地の範囲を周辺まで広げることが可能であれば、計画を策定するメリットも大きいのではないかというふうに考えています。しかし、この計画のほうでは、行政として将来どういうふうなまちづくりをやっていくかという観点のほかにも、商店街とか既存の商業者を守り、発展させるという観点も必要かと思います。となると、計画を実行させる実効性の高いものにするには、地域の方から特に今現に商売している方の危機感に基づく意欲とか意見を反映して、それが腹に入ったものじゃないと意味がないものというふうにも考えています。庁内におきましても、商業だけでなく、都市整備とか、住宅とか、福祉とかということも関係しますので、全体で考えないといけないと思います。それも平成28年度に改定される第4次南国市総合計画ともリンクしないといけないと思います。けれども、まず南国市中心市街地の範囲はどうするのかとか、範囲を広げるのであれば、実をいうとそのデメリットも考えないといけないと思っています。例えば、旧の中心市街地におきましてはますます寂れてくるんじゃないか、広げることによって寂れるんじゃないかということも頭をよぎります。また、この計画につきましては、中心市街地活性化協議会設立というのがありますので、運営体制、運営する財源なども考えていかないといけないと思います。こういったこの計画の策定に伴うメリット、デメリットなど全般を全庁機関、関係課はもちろん、関係機関、関係団体、商業関係者とともに勉強、検討する必要があると考えます。結局、ですけれども、何らかのアクションはとらないといけないと思ってますので、中心市街地の活性化につきまして、今後危機感を持って取り組んでいきたいなというふうに思っています。危機感を持って検討をして取り組んでいきたいと考えていますので、よろしくお願いいたします。
 以上でございます。
○議長(前田学浩君) 1番田中徹君。
○1番(田中 徹君) 御答弁いただきました。ありがとうございました。危機感を持って取り組んでいくということで、やるのかやらないのかよくわからないんですが。もう多くは語りません。市長、基本計画、先ほど課長より答弁ありましたように、内閣総理大臣の認定でございます。今後協議会等開催するについても、さまざまなハードル、これからあると思います。今こそこのプロジェクトチームを立ち上げ、ぜひ市長の強いリーダーシップのもとで、計画を推し進めていただきたいと思います。
 最後に、市長の御見解であったり、決意をお聞きしたいと思います。
○議長(前田学浩君) 答弁を求めます。市長。
○市長(橋詰壽人君) 課長の答弁が終わる前には私に来るなという、私も聞いててよくわからない、大変お叱りを受けるかもわかりません。浜田市政のときに、私も自分なりの情熱を持って、後免の再開発、高松の町も見に行きましたし、瀬戸内の町も見に行って、やろうと、やりましょうねと言って商店街の人と励まし合って勉強もしたことでございましたが。その後に、再開発ということで、それぞれの住んでいる方の御協力を得られるかということでアンケート調査をしました。決して高率ではなかったんですが、私の記憶も随分たちましたのであれですが、80%台ぐらいだったと思います、ちょっと間違っていたらあれですが。それで、比較もこれもおかしいんですが、私がかつて自分の地元で圃場整備の、これも人様の財産に手をつけるということでは似てますので、そのときの同意率が98%ぐらいです。だけれども、これを仕上げるのに最後の最後に2人の地権者が真ん中に残ってしまったようなことを経験しました。八十数%で町をつくりかえ、そして商店街を新たに発展する活性化される町にするんだということにはどうもなりそうにない。これに当時のビルだけでもたしか70億円ぐらいのビルを建ててやるということで、このときばかりは大変申しわけなかったんですが、私は助役として、市長に断念を迫りました。そして、浜田市長のお答えが、面がいかなければ線でいこうということで、この東工業からL字に曲がって駅前に行き、警察のほうに向かって真っすぐ東へ行く、この線をやるぞということで現在のある意味で市政がこの街路事業にかけることで続いておるわけでございます。
 一方、話は少し変わりますが、高知医大が突然、私はそのとき若かったですので、若い、今から約三十数年、40年近くになるわけですが、前に、医大が岡豊に来るということが決まりました。私もそのときは非常に一職員として、ああ岡豊周辺がさま変わりするんだ、学園都市になるんだということで非常に感激をしたというか感動したことを覚えております。そして、今日、自分が市長という立場あるいは以前に助役という立場でいろいろ経験したことを思い浮かべてみますと、医大は見事田んぼの中にどかんとこの白い建物が建ちまして、来ました。ところが、あそこには四、五千人の人が、毎日あこへ出入りしておりますけれども、できたのはほんの最近、コンビニが数軒とそれから薬局ができました。医薬分業のあれでね、あれでできました。そのほか何もできません。高知大学に言わせば、一体これは町じゃないと。病院と大学があるだけだと、そういうところで何の変化もない。ところで、学長じきじきに市長、1年間のうちにあの辺に家が建つように、飲食店ができるようにしてくれと言われました。本当に喉元に突きつけられたような感がしました。いや、それは私の力だけではだめですから、学長、一緒にやりましょう。脇口学長さんは小児科医師でございまして、南国市の小児健診なんかでも長いおつき合いがございましたので、一緒にやりましょうと。お力添えもいただかなできんということで、私と脇口学長先生との連名でこうこうしたいんだと。幾ら高知大学医学部の卒業生に僻地の医療だとか無医村の医療だとかということを希望しても、学校の周辺に住みたいようなところのないところで6年間学んで、それでその上に高知へ残ってくれと言うたってそれは無理な話だというのが大学側の主張でございました。住みやすい、環境のいい、学生たちがこの岡豊というところを、高知県というところはいいところだなあ、住んでみたいなあと思えるところに住まないで、勉強したらさっさとふるさとへ帰るのが当たり前だというのが大学の主張でございます。私もなるほどと思って、知事、副知事も理解を示してくれまして、非常な地区計画の緩和をして、いよいよこれからという時期に来ております。ですから、そういうようなものであって、ここは国の、浜田和子議員さんも言われましたが、新しい制度、これまだどうなるかわかりませんけれども、それの考えとするところは何なのかというようなところを十分勉強して、そしてそういうものに果敢にチャレンジしていく、そうしないと、私この前に少し申し上げたかもわかりませんが、この南のほうに大規模店舗がちらほら聞こえてきます。ですから、ああいうものが来たら活性化どころじゃない、生き残りも図れんじゃないでしょうかね、ということを過日の商工会大篠支部の研修会でも話させていただきました。皆さんが危機感を持って、我が町をどうしていくか、こういうことを果敢に研究していく、勉強していく意味で、今後ともこの田中議員が言われたこういう中心市街地の活性化、これやっていろんな視点から考えて、やっぱりこれだめだなあと思ったらやめたらいいんじゃないですか。だけど、一度は考えてみる。高知大学医学部が来るときに、どういうまちづくりをするかは全く抜けておって、こっぽり白い立派な建物が建ったけれど、40年後も一緒です。ですから、あのときに、先人たちとは言いませんけれども、1人か2人ぐらいまちづくりを一緒にやろうという声があったのかなかったのか私知りませんけれども、そういうものなしに今日があるということに非常に寂しい思いといいますか、感じるわけでございますが、こういうことが言いますと、しもうたということが10年、20年、30年、40年たったときでも、しもうたと思うてやればこれぐらいのものができるわけでございますので、これを基本に据えて、新たなまちづくりを考えるということは、当然、南国市として考えてみなければならない課題であると、そのように思っておりますので、そういう意味では、非常にたびたび自前で大阪へ、東京へ飛んで、勉強されておる田中議員でございます、私全部知っております。政府の情報も早く入れて、この問題にどうするべきかというところまでやっておる議員さんでございますので、そういう意味で、田中議員の意思も尊重し、私は大いにこれに乗らしていただきたい、そのように思いますので、今後ともよろしくお願いします。