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検索結果 »  平成25年 第374回市議会定例会(開催日:2013/12/06) »

故 竹内克憲議員追悼の辞


○議長(前田学浩君) これより本日の会議を開きます。
 この際、謹んで御報告申し上げます。既に御承知のごとく、竹内克憲議員が去る12月16日に御逝去されました。まことに痛惜、哀悼のきわみであります。
 竹内克憲さんは、平成15年11月初当選以来、南国市議会議員として市政の進展に尽くされましたことは周知のとおりであります。中でも副議長の重責を務められ、これからの御活躍を誰もが望んでいたところであり、まことに残念であります。ここに皆様とともに故人の御冥福をお祈りし、黙祷をささげたいと思います。
 13番席に向かいまして御起立をお願いいたします。
 黙祷。
      〔黙  祷〕
○議長(前田学浩君) 黙祷を終わります。
 ありがとうございました。御着席をお願いします。
 この際、浜田勉君から故竹内克憲君に対する追悼の辞がございます。17番浜田勉君。
      〔17番 浜田 勉君登壇〕
○17番(浜田 勉君) 竹内克憲君への追悼の辞。
 私は、同僚議員の御同意をいただき、代表して28代南国市議会副議長竹内克憲君の死に哀悼の意をささげ、心から追悼の言葉を送りたいと思います。
 竹内克憲君は、昭和32年、1957年12月29日、岡豊町中島で生をうけ、国分川の産湯を使い、近畿大学卒業後は南国市農協で主に営農畑で12年、その経験と農業への寄せる思い、ロマン、それに向かってハウストマトの専業農家となり、消費者の評判も高く、売れるトマト農家となりましたが、個人の農業への思いだけではなく、農政への参画という広い立場から市議に挑戦、2期と2分の1、118カ月の間、市民生活の向上と市勢浮揚に大きく貢献されました。
 その間、久美子さんと結婚、千草さん、佑太君、啓君の1女2男で大きな平和な家族を育てられてまいりました。
 この中で、あるいは市政生活の中で、竹内君のエピソードというんでしょうか、その思い出の中に私は、竹内君の特に柔和なまなざしと朴訥とした語り口、そして万年筆をいつも手に、そしてノートに記入する。一般質問にあっても、十分な調査と課長との入念な研究、そしてその質問が市民生活向上に行政の姿を映し出していました。本当に学ぶべきものであったと思っています。
 さらに、市議会では、全ての委員会を経由し、磨かれ、あるいは鍛えられ、産業建設委員長、総務委員長、さらには監査委員も務められてまいりました。多事多才の克憲君は、教育に体育に社会活動に参加され、岡豊高校のPTAの会長、後援会の役員、体育会の会長や消防団の分団長や班長、さらに地域のまさにオールマイティーという役割を果たされてまいり、本当に地域にとっても大きなショックであります。
 また、生産現場、地域農業のかかわりを見てみると、南国市の認定農業者協議会の会長として南国市の将来像を演出、岡豊では防除組合を設立し、安心できる農業への土台をつくっています。
 これから、いよいよこれからという最後の圃場整備、このときに竹内君が不在ということで本当にショックであります。市行政はこの竹内君の思いをさらに実らせるために、十分な圃場整備についての御援助を願うものであります。
 竹内克憲君は議員としてのルール、市民から委託された代理者としてのその役割、それを南国市の基幹産業農業を守るという視点からは、近視眼的な発想は一切持たず、オープンな思考をもって、例えば日米安保と日本農業という大きなテーマ、この学習会やTPPノーの学習会、これは岩村の公民館で、あるいはこの市役所の4階ホールで行いましたが、共同呼びかけ人として日本農業の再生の先頭に立たれていたのに、言いがたい逸材を南国市は失いました。だが、君の思いはきょうの議会でも大きく生かされようとしています。TPPノーの意見書が決議されようとしていますので、御安心ください。
 本当に短い人生でありました。一生懸命家族に、社会に尽くされました。私たちはあなたの農業への思いがさらに実りますようお誓いをし、感謝を込めて追悼の言葉といたします。ありがとうございました。安らかにお休みください。
○議長(前田学浩君) 続きまして、市長より追悼の辞がございます。市長。
      〔市長 橋詰壽人君登壇〕
○市長(橋詰壽人君) 議長のお許しをいただきまして追悼の言葉をささげさせていただきたいと思います。
 故竹内克憲議員さんは、平成15年、私が助役時代に初当選されて以来、3期連続当選され、本市の発展に市民の立場から数々の御助言をいただいてまいりました。先ほど浜田勉議員も紹介されましたとおり、この間産業建設常任委員長あるいは総務常任委員長を歴任、また農業委員として活躍され、特に本市の基幹産業である農業の振興には多大なるお力添えを賜りました。3期目に入り、副議長に就任され、野村前議長を後ろから支えられてこられ、さてこれからが本当の力の見せどころという時期に体調を崩され、以降病魔と闘い続けてこられました。
 この9月にお見舞いさせていただいたときには、いつもの人懐こい笑顔を見せていただき、一日も早く復帰されることを期待しておりましたが、12月16日の朝、突然の訃報に接し、痛恨のきわみであります。
 任期半ばでの御他界には、御本人はもとより御遺族の御無念さはいかばかりかとお察し申し上げる次第でございます。
 生前の御功績と市政への御尽力に対しまして尊敬の念と感謝の意をささげますとともに、謹んで御冥福をお祈り申し上げまして追悼の言葉とさせていただきます。
 竹内克憲さん、本当にありがとうございました。
○議長(前田学浩君) 以上で追悼の辞を終わります。
 まことにありがとうございました。
 これより議事に入ります。