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検索結果 »  令和2年 第417回市議会定例会(開催日:2020/09/04) »

一般質問4日目(野村新作)

質問者:野村新作

答弁者:市長、教育長、関係課長


○議長(土居恒夫) 17番野村新作議員。
      〔17番 野村新作議員発言席〕
○17番(野村新作) ━━━━━━野村でございます。
 質問をさせていただきます。
 市長、問い詰めやせんき、リラックスして。
 8月15日、75回目の終戦を迎えました。全国で310万人の犠牲者を出し、南国市においては1,851名の戦没者を数えます。資料によると、忠霊塔、慰霊碑が県内に242基が存在し、111基が県の遺族会やその支部、46基が市町村、18基が地元自治会と神社が管理しており、ほとんどが良好な管理状況であると報告されております。
 そこで伺います。
 南国市の忠霊塔、忠霊碑の管理状況はいかほどのものでございましょうか。
 平成29年2月、尾崎知事が答弁で、戦後に生まれた世代が大半を占め、ややもすれば戦没者の方々への思いや戦争の悲惨さ、平和の尊さというものの意識が薄れかねない中、戦争の教訓を風化させることなく、平和の尊さ、平和を愛する心を次の世代に伝えていくことは我々に課された使命である。門田地域福祉部長、慰霊碑は平和への思いを次の世代に受け継いでいくために重要なものでございます。田村教育長、慰霊碑には教育的価値もあり、また平成30年度から実施される特別の教科、道徳においては、様々な体験活動を道徳の学習と関連させることの効果や重要性も述べられているところでございまして、こういったことからも、今後慰霊碑を生かした教育活動について、市町村教育委員会とも話をしてまいりたいと思います、と答弁をされております。
 そこで伺います。
 南国市は、忠霊塔、忠霊碑を教育にどのように活用しているか。また、戦争遺跡、戦争関連の資料はどのように教育に取り入れ、平和教育をどのように行っているかお伺いをいたします。
 次に、遺族会の件につきまして、高知県遺族会は1948年、昭和23年、これは私の誕生した年でございますが、県遺族会連合会として発足し、追悼行事開催や慰霊巡拝ほか、県出身者の遺品、戦争資料の収集や、忠霊塔の実態調査などに取り組んでいます。今年3月末の会員数は4,384人で、10年前の2009年に比べて3割以上減っております。国の礎となられた英霊顕彰を始め、戦没者の遺族の福祉の増進、慰籍救済の道を開くとともに、道義の高揚、品性の涵養に努め、世界の恒久平和の確立に寄与し、二度と我々のような戦没遺族者を出さないために、大戦を知る遺族としての罪のない一般市民まで巻き込まれる戦争の悲惨さと恐怖、平和のありがたさを万世にわたり語り続けて、継承していかなければならない。遺族会会員も高齢化して遺児も80代になり、活動量に支障を来しており、代を隔てるごとに意識が薄くなっており、残された時間はそうは長くありません。思い出したくない過去でも、語り始めようじゃありませんか。それこそが、あなたの大切な人を守る唯一の道だと信じてやみません。
 特に、教育界の人たちにはよく聞いてもらいたい。国民の8割が戦後生まれの今日、戦争の記憶を次世代に継げられるのは、戦争で惨苦の限りを体験した我々遺族の言葉であります。私たち一人一人の体験そのものが、どんな立派な教科書や書籍よりも胸に響きます。これが遺族会の言わんとするところでございます。
 次に、追悼式につきまして。今日私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も私たちは決して忘れません。改めて、衷心より敬意と感謝の念をささげます。これは、首相の式辞でございます。今日の平和と繁栄が多くの犠牲によって築かれていることを決して忘れず、戦後以来長い年月が過ぎ、戦争の体験と記憶の風化が危惧されます。戦争を直接体験された方々から学び、語り継いでいくことは、戦争の惨禍を繰り返さないためにも極めて重要でございます。衆議院議長追悼の辞。戦後生まれが8割を超え、あの悲惨な戦争やその後の復興を経験したことのない国民が大半となりました。しかし、どれだけ時代が過ぎようとも、今日の社会の礎には、この国や家族の安泰を願い戦禍に命を落とされた方々の存在と、焦土の中から復興を信じて懸命に歩んでこられた先人の努力があることを決して忘れてはなりません。参議院議長。
 思えば、戦没者諸霊は、我が国の危急存亡の戦役に際し、我が身と最愛の家族を顧みず、ひたすら祖国の安泰と平和を願い、若くして健康な命を国のためにささげられました。いかに懐かしいふるさとの山、川を思い、いとしい妻子、優しい家族を夢に見たことでしょうか。ここに諸霊の御前にぬかずき、往時をしのびますとき、今なお新たな悲しみと痛恨の情を禁じ得ません。ひたすら御冥福をお祈りいたします。おかげさまで、今日の物心ともに安定した生活を取り戻すことができましたのは、周りの人々の温かい思いやりと、諸霊の御加護によるものと感謝申し上げます。二度と我々のような戦没者遺族を出さないために、戦争を知る家族として、罪のない一般市民まで巻き込まれる戦争の悲惨さと恐怖、平和の尊さ、ありがたさを万世にわたり語り続けて、継承していかなければと思います。今日における平穏な生活が享受できますことは、戦没者諸霊の尊い犠牲の礎の上に築かれたものであることを忘れず、心に深く銘記し、改めて御霊に尊崇の誠をささげ、御霊のとこしえに安かれとお祈り申し上げます。これは遺族代表の謝辞でございます。南国市においては、市長、議長も同じような式辞、追悼の辞が述べられております。
 今年11月15日に行われる南国市戦没者追悼式について伺います。
 1,851慰霊に対して、平成20年250人が参列し、徐々に減っております。令和元年、126人となっております。単純計算でいけば1,851人の参列が理想とされますが、裾野は広がっているが、今年度はさらに減少することが予想されます。参列者の枠を広げることも考えなければならないが、市の考えをお伺いいたします。
 次に、遺骨収集につきまして。戦後75年が過ぎても、海外等からいまだに帰らぬ遺骨が112万4,000柱ございます。遺族にとっては、御遺骨全てが帰ってきたとき、初めて戦後が来ます。私たち遺児が元気なうちに、戦後が来るでしょうか。英霊顕彰は遺族会だけでするものではございません。国民全員がするものと思われますが、どうでしょうか。なお、遺骨収集には右も左もありません。
 続きまして、オナガドリ保護増殖センターについてお伺いいたします。
 文化財保護法には、保存が適切に行われるように、周到の注意を持ってこの法律の趣旨の徹底に努めなければならない。一般国民は、政府及び地方公共団体がこの法律の目的を達成するために行う措置に誠実に協力しなければならない。文化財の所有者その他の関係者は、文化財が貴重な国民的な財産であることを自覚し、これを公共のために大切に保存するとともに、できるだけこれを公開する等その文化的活用に努めなければならないと定めております。
 オナガドリは、大正12年国の天然記念物に指定され、昭和27年からは特別天然記念物の指定となり、管理団体は南国市となっております。
 今回の質問は、平成30年6月議会の答弁を基に質問をいたします。
 保護増殖センターの整備につきましては、大きな箱物建設を控えており、直ちに着手できるものではございませんが、保存会等でも議論をして、適地の選定に努めてまいりますと答弁をされておりますが、設置場所は絞られたでしょうか。予定されている施設の規模はどのようなものか、目標とする飼育羽数は何羽をめどとしているでしょうか。施設の面積はどのくらいが必要か。鳴き声がうるさいので、近所に迷惑のかからない場所探しも当然考えていると思いますが、どうでしょうか。
 施設が出来上がっても、飼育方法の継承等が大きな課題となっております。施設をつくった場合に、ほかの飼育者に指導できるような人材の確保及び運営の在り方についても、急ぎ検討する必要があるとされておりますが、運営経費の試算ができておりますでしょうか。
 個人が飼育を続けることが困難な時代となり、将来にわたって種の保存と増殖を行うために、公的保護の検討を早急に進めたいと考えている。また、リスク管理として、他県の飼育者との関係構築も文化庁に求められています。
 市長にお伺いをいたします。
 箱物、つまりものづくりセンター、中央地域交流センター、図書館と事業が進んでおりますが、南国市は次は何を目指していくのでしょうか。保護増殖センター、飛行機に例えれば指定シートに座ってベルトを締める段階でしょうか。または、搭乗口で待っている段階でしょうか。これから搭乗券を手配しなければならない段階でしょうか。いずれかでしょうか。これで質問を終わらせていただきます。第1問目。
○議長(土居恒夫) 答弁を求めます。市長。
      〔平山耕三市長登壇〕
○市長(平山耕三) 野村議員の御質問にお答えします。
 まず、英霊の顕彰でございますが、昨年度の追悼式の追悼の辞におきましては、私は、いつの時代におきましても記憶を風化させることなく、戦争の悲惨さと平和の尊さを、未来を担う次の世代にしっかりと語り継ぐ努力を重ねることが私たちの責務であると申し上げました。南国市といたしましても、恒久平和への願いも込め、今後も戦没者の追悼は引き続き行っていくべきであると考えております。国を挙げて、そういう今の日本があるのは、そういった戦争の戦没者の方々の御霊による今の平和があるというふうにも思います。今後も、南国市では続けていく必要があるということでございます。
 続きまして、大型事業の後を目指すものはということでございますが、先ほど質問の中でおっしゃられたとおり、大型箱物事業は3つほど予定しているところでございます。保護増殖センターの整備も決して忘れているものではなく、搭乗を待っている状態であるというふうに思っております。そちらの適地ということをまずは探さなければならないというところでございまして、そういう候補地をまずは探すということが必要であるということでございます。以上でございます。
○議長(土居恒夫) 福祉事務所長。
      〔池本滋郎福祉事務所長登壇〕
○福祉事務所長(池本滋郎) 野村議員の南国市の忠霊塔、慰霊碑の管理状況についてお答えいたします。
 昨日の土居議員の答弁と一部重複いたしますが、現在市内にはおおむね旧村単位で14か所の忠霊塔や忠魂墓地がございます。うち13か所については地元遺族会に、遺族会が管理ができない1か所については、地区社協に管理及び地区追悼式の委託を行っており、現在のところおおむね適切な管理が行われていると考えております。ただ、野村議員のおっしゃられたように、遺族会も高齢化等により会員数の減少が続いており、忠霊塔自体も経年劣化が進んでいることもあり、あと数年で管理できなくなるという地区や、忠霊塔自体を解体し、市でメモリアルパーク的な整備を行ってほしいとの意見も複数の地区でございます。市といたしましても、今後も適正な管理のため注意を払ってまいります。
 続きまして、南国市追悼式の参列者の枠を広げることについてでございますけれども、議員の御指摘のように、平成20年から昨年度を比較すると参列者はほぼ半数となっており、遺族の高齢化に伴い、今後も逓減が予想されます。南国市追悼式につきましては、特に参列される方についての制限は設けておりませんが、御遺族以外の一般参列者はかなり少ないと思われます。なお、今年度につきましては、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、全国戦没者追悼式も例年の参列者を大幅に制限し開催されました。このような状況もあり、本年度すぐに一般の方への積極的な参列の呼びかけは難しいと思いますが、新型コロナウイルス感染症終息の際は、追悼式の広報文書につきましても、御遺族以外の方も参列できます、どなたでも参列できます、など周知に工夫を行い、参列者増加を図っていきたいと考えております。以上でございます。
○議長(土居恒夫) 教育長。
      〔竹内信人教育長登壇〕
○教育長(竹内信人) 野村議員の御質問にお答えいたします。
 忠霊塔や慰霊碑の教育的価値については、議員御指摘のとおり、南国市教育委員会といたしましても、平和教育、特に戦没者の思いに触れ、戦争の悲惨さをより身近に感じるものとして教育的価値の高いものというふうに考えております。実際に、地域の忠霊塔や慰霊碑を教育に活用している例は、小学校6年生の社会科の学習で、碑に書かれた碑文を基に地域と戦争との関わりを調べ、教科書で書かれた戦争を身近に感じながら戦争の問題について考えたり、平和学習を行う際に地域の高齢者を講師に招き、戦争の悲惨さと忠霊塔や慰霊碑に込められた思いについて話を聞いたりしている学校もあります。
 南国市には、忠霊塔や慰霊碑のほかにも掩体、トーチカなど戦争遺跡や、陣山の送信所爆発の記録、練習機白菊の写真などの戦争関連の資料がございます。戦後75年を経過し、薄れていく歴史遺産を保存し、戦争の悲惨さや平和の大切さをより実感を持って考えることのできる資料として、平和教育に取り入れてまいりたいと考えております。
○議長(土居恒夫) 生涯学習課長。
      〔中村俊一生涯学習課長登壇〕
○生涯学習課長(中村俊一) オナガドリ増殖センターについてのお尋ねについてお答えをいたします。
 以前、市街化調整区域では駄目なのかという御質問もございました。決して市街化区域に限ったものではございませんので、調整区域も含めて鳴き声等の騒音、臭気等に配慮する適地を探してまいりましたが、絞り込みには現在のところまだ至っておりません。現在、ほかの施設整備を抱えていることもございます。保護増殖施設につきましては、文化庁の補助制度があるとはいえ、予算額の総額が決して大きいものではないので、補助率というよりは、いわゆる頭打ちになる可能性が非常に高いものでございますので、市費も相当構える必要があるということでございます。
 施設の規模は、以前の計画ではございますが240羽収容、鶏舎の面積が約200平米、建設費用は用地費を除いて、設計費も含めて約1億2,000万円でございました。建設資材の価格の高騰、あと消費税が10%になったことから、現在再度試算しますとこれを上回るという可能性が非常に高くございます。
 また、運営につきましての御質問がございました。
 餌代ですとか、餌をやるために人を雇った場合の賃金等が補助対象経費で、以前500万円と試算してございました。一方で、例えば所長ですとか、そういった職員の給与や光熱水費は補助対象外でございますので、これも含めますと倍で1,000万円かかって、補助が250万円、ざっくり粗っぽく計算するとそのような形に足るのではないかと考えます。議員おっしゃいましたように、家禽類、オナガドリの習性、飼育に知識を有し、他の飼育者に技術的な助言が行えるような人材の確保が求められております。そういったことでは、処遇につきましては知識を優先するということで、給与はセカンドキャリアで安い賃金で雇用できる人がおればそれがいいんですが、まずは知識を優先に人材を探っていくことになろうかと思います。
 あと、他県の飼育者との交流ということがございました。今年、岐阜県と石川県の飼育者を保存会の会長と訪問する予定でございましたが、こういった時代ですので来年までちょっと、今年は見合わせることといたしております。以上でございます。
○議長(土居恒夫) 野村議員。
○17番(野村新作) ありがとうございました。
 忠霊墓地のことでございますが、これは2問目じゃありませんので、私が勝手にしゃべらせてもらいますので。
 昨日、十市の忠霊墓地のことについて土居議員からありましたが、十市の忠霊墓地は、山裾一番奥のほうに各個人個人のコケむした墓標がございます。全て日露戦争当時のものでございますね。どうしてこの南国市に、東鶏冠山というて日露戦争の激戦地がございますが、旅順を囲んで。どうも善通寺に招集されて14師団、その14師団は第3軍に編制されて、旅順攻撃を命令されたと。それで、激戦でございましたので、東鶏冠山もしくは東鶏冠山方面にて戦死と。ぎっちり見よらなコケむして分かりませんけんど、大体分かります、それが。久礼田にもございます。大篠の忠霊墓地は、碑は昭和5年、大篠青年団によって建てられております。それで、揮毫といいますか、それは鈴木貫太郎、昭和5年当時は連合艦隊司令長官やったもんや。ほんで、終戦後にはGHQにいちゃもんをつけられて、名前を削らされました。今も、そののみの跡は残っております。その後ろの忠霊墓地には、昔遊び場やったけんど、今はもう周りに家が建ちましたけど、遊びゆう途中に、台へ乗ってのぞくと遺骨がずっと並んでますがね。それで、今はもう開かずの扉になっておりますけんど、しげしげと、当時は何もそんな戦没者じゃいうことは頭にありませんけんど、今思うと、ああ、遺骨が並んじゅうということでございます。
 忠霊墓地は高齢化したといえども、やっぱし遺族が掃除をするもんじゃと、私はそれなりに考えております。旧村単位で村から市になって、管理は市がしてくれということはちょっと言いづらいと。それやったら、魂までも市のものかやということに、やっぱし魂は遺族会のものじゃないろうかと、私は考えております。
 それから、追悼式でございますが、これも大篠小学校で大きな木造の講堂がございまして、何も知らん、年に2回ぐらいは喪服を着た女性がぞろぞろ集まってきよりました。当時20代、30代、40代じゃと思いますが、後で聞いたら慰霊祭、今で言う追悼式、その慰霊祭へ来ゆう若い、戦争の寡婦よね。当時20、30、40代の若い女性も、75年たったらもう亡くなっている方、南国市には戦争寡婦と言われる方は7名ございます、今。その方も、外へ出てあちこち行き回るような健康状態じゃないろうと思いますし、またその戦争の悲惨さを語り継ぐという方も、現役の兵隊さんが恐らくないんじゃないろうかと思いますね。ほんで、語り部という方もおらんし、全国的に見ても余命幾ばくでやっと重い口を開くということが新聞には時々出ておりますし、南国市においては現役の兵隊はおらんじゃないろうかと思いますね。
 いずれにしても、戦後の日本は戦没者のおかげで今まで発展をしてきたと、これはどこの挨拶文にもありますし、自由過ぎて何を言ってもええ、何をやってもええというような規範意識とか道徳観念というものが薄らいできまして、最近は女性による我が子への死に至らしめるような事件が報道をされております。やっぱり、これも道徳性が薄らいできたけんじゃないろうかと思いますけんど、あまりにも自由過ぎて何をやってもかまん、何を言うてもかまんというような、それはちょっと抵抗を感じますね。
 くだらんことを言いましたけんど、質問を終わらいてもらいますき。